ミュージカル「エリザベート」
博多座での大千穐楽から
はや20日ですか…。
なかなか振り返ることが出来ず。
自分なりの感想を
UPしたいと思います。
(長いです)
花總まりさんのエリザベート
2015年に
東宝エリザベートが開幕した時
帝国劇場の入口で撮った写真です。
誇らしく見上げた、あの日…。
懐かしいですね
「エリザベート」という 作品との出会いは、2012年の「東宝エリザベート」。物語の概要は掴めたものの 作品の展開上、初見では分かりきらなかった登場人物の心理が、その後、「来日版エリザベート・ガラ・コンサート」を観に行った際に字幕の台詞を読んで理解がぐっと深まったという流れがあり、さらに開催されたのが 宝塚歌劇OGによる「エリザベート・スペシャル・ガラ・コンサート」。ここで一気に作品世界にどっぷりハマりきり、その中でも、一際、説得力をもって私の心をとらえて離さなかったのが、花總まりさんのエリザベートだったのです。
なので「東宝エリザべート」に花總まりさんが選ばれた時は歓喜。まさに待ってましたの勢いではありましたが、日本初演を演じた、あのエリサベートが満を持してと…時には周囲からレジェンドと持ち上げられてもいて、ちょっと心配にもなりました。実際には宝塚時代に演じてから年数が経過していたことや、難曲揃いの再チャレンジ。大きなプレッシャーが押し寄せているのではと…。だかしかし、そんな懸念をも見事に吹き飛ばすような熱演に涙は止まらず。感動の勢いに乗り、通いきった2015年と2016年。
さらに、2019年「東宝エリサベート」です。個人的な印象としては、「原点回帰」なエリザベート。その がむしゃらなシシィ像は どこか日本初演の雪組エリザベートの勢いを思い出されて。エリザベートという人物、言葉・思い…その日の精一杯を表現していた。そして、解き放たれつつある、なにかを感じた。ただ、歌唱の面で「私だけに」のラストの「にー」の唄い上げが難しくなってきており、2015年と2016年の時は出来ていただけにその残像から どうしても際立ってしまう、というのが惜しかった。だけど、今までよりも、もっと好きなエリザベートでした。
そして、集大成となる、2022年-2023年「東宝エリザベート」を迎えて…。素晴らしかった。エリサベートという役に思いっきり挑んで、その日その日、エリザベートの人生を生き切ってる、とにかく生きてました。今できる自分のベストを尽くして表現しきっている、良い意味での「開き直り」が堂々としていて、「そこにエリザべートの人生があった」としか言いようがなく。客席で見ながら”今日のエリザベートを見て感じたい”という気持ちに集中できていました。
いろんなミュージカル作品があるなか、私の印象として、「オペラ座の怪人」はファントムが唄う”ミュージック・オブ・ザ・ナイト”が完璧でないと受け付けられないんです、特に「心の おもむくままー」の唄い上げはガッツリとハマってほしんです。この歌さえ上手く唄えればというぐらい。逆にハマらない場合は この歌の後に どんな熱演や展開があっても、満足しきれない気持ちを余韻にも ひきずる(私の場合は)
「エリザベート」でシシィが唄う”私だけに”という歌も、オペラ座の怪人の”ミュージック・オブ・ザ・ナイト”のように、物語の印象を左右する曲なんだなと。この度の2022年-2023年公演を観て改めて感じる機会になりました。
それは「私だけに」に込めた魂の叫び、みたいなものが、胸に突き刺さるか否か。なにが正しいとか、誰にどう思われるかではなく、開き直りの精神とでもいうのか。とにかく「私はこれで行く!」という叫びが その日その日のシシィから一発入魂とばかりに、見ている側の心に刻印される歌であるべきなのだ。そして、その思いは どんなに揺さぶられても手放すことはない。最後まで貫かれている。その強い意志を、「私だけに」を通して、花總シシィから毎回受け取ることが出来たのが何より良かったです。
と同時に、自我を貫くゆえの隔たり。確固たる孤独の影が深まっていて、特に二幕の精神病院で患者達から「正気のふりをしている」と指摘されて うろたえる様子や、夫に裏切られ息子を失った絶望を経てもなお 生きている自分への嘆きのようなものが 深く造形されているように感じた。誰とも共有できない、折り合いのつかない 独特な孤独の自覚とでもいうのか。
「夜のボート」という歌について、 夫・フランツとエリザベートの すれ違う切ない夫婦の歌と思ってきたけど、今回の公演を観ていると、現世における唯一無二で最後の拠り所でもあった夫との決別とは”解放の歌”でもあったのかなと思った。エリザベートの この世での名残は フランツと決別した時に終わり、もういつ死んでもいい。生きるも死ぬも、自分次第という究極のゾーンに入っていたのかもしれないとすら思えてきて。トートがルキーニにナイフを渡したのはキッカケにすぎず、エリザベートは自分で生きることも死ぬことも選ぶ、最後まで「私だけに」で誓った意思を手放してなかったんだ。そして永遠の自由を手に入れたというふうに思えた。
エリザベートとは全く関係ないことだけど、そんなふうに思えたのは、朗読劇「バイオーム」という作品の中で花總さんが演じた「怜子・クロマツの芽」という役が強烈に印象に残っていたからかもしれない。
この「玲子」という人物の個性が、私の叔母と似通った精神状態だったので、とてもリアリティがありました。
誰にも相容れない自己ゆえの孤独。なかなか こういう心理に浸ることって常人ではないと思うので、役とはいえ、疑似体験する期間があったことは大きかったのではないかと感じられました。
”愛と死の輪舞”。今まで「エリザベート」という作品のなかで、エリザベートとトートについて、生と死の攻防のように受け取ってきた部分もあったけど、今回の公演を経て、エリザベートの生と死として受けとめられ、エリザベートの人生が一筋が貫かれて、ようやく すべてが繋がり、一つの物語の決着が私のなかでついたような気がする(解釈は間違っているかもしれませんが)
花ちゃんのエリサベートは旅立ってしまい寂しいけれど、ここまでの境地に至らしてくれたことに満足しています。コンディションを整えて最後まで演じきったことは素晴らしかったし、花總まりさんのエリサベートは ほんとに唯一無二。エリサベートそのものだったと言いきれます。
ほんとうに素晴らしい時を
ありがとう。
まずは花ちゃんへの思いから。
公演への感想やコラボメニューなどは
思い出は ちょっとずつ
書いていきたいなと思います。