昭和プロレスその19~小林の憂鬱 | ジジイが来たりて愚痴を吹く

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人生還暦を超えていよいよロスタイムに入りました。
いろいろ過去をふりかえりながら未来を描きたい
#MIOつくし #FC草津26期生

馬場猪木がモタモタするのを尻目に

国際プロレスはエース小林の活躍により

爆心中でして、その象徴的な試合が昭和48年

5月に行われたIWA世界ヘビー級戦です。

小林はWWWFのトップコンテンダーイワン

コロフを相手に壮絶な試合を行います。

1本目は2分余りでコロフのカナディアン

バックブリーカーに悶絶。

しかもいきなり流血し2本目を取り返すも

大苦戦!調子が出てきた3本目はコロフを

徹底的に痛めつけるもレフェリーのブレイクを

無視し突き飛ばす暴挙。

テレビ解説者が「このままでは小林君、反則

負けで王座は海を渡ってしまいますよ(この

試合がシリーズ最終戦だった)」との言葉に

ワタクシは思わず小林冷静になれーとハラハラ

結局コロフをバックドロップで葬り21度目の

防衛に成功。馬場の持つインター選手権の

防衛記録に並ぶこととなり名実ともに日本を

代表するレスラーとなる。

豪快な小林のバックドロップ。

この頃はこの技が出たらジエンドだったのですが。

 

ところがこのシリーズは開幕戦でいきなり

IWA世界タッグ選手権が組まれ

小林草津組がコロフとマッドドッグバション

にタイトルを奪われるというショッキングな

出だし。それもこの試合草津の奮闘は

あるものの小林はさっぱりいいところなく

1-1からの3本目はシングル戦と同じく

コロフのカナディアンバックブリーカーに

悶絶。子供心にもエースをそんな扱いして

ええのか?まあ馬場もタッグ戦では結構

猪木や外人に花を持たせてたしなあ。

シリーズを盛り上げるため、と納得するも

そのあと1か月は草津木村がメインになり

なんで小林を起用しないのか不思議でした。

ブルクラほどのインパクトはないものの国際プロレスの中で

ネームバリューでいったら結構上位のコロフバション組

 

小林はその後防衛記録を25度まで伸ばし

当時の日本記録を樹立しますが、ご存じの

とおり陰では草津からの嫉妬でエースとは

いえないような扱いを受けます。特に

酷かったのは11月9日にワフーマクダニエル

に王座を追われ、リターンマッチにも勝てず

吉原社長は「最終戦までにもう一度タイトル戦

は行うが挑戦者は小林とは限らない」と発言。

聞かされた方はたまらないでしょうね。

さらに草津がそのワフーに11月28日

インディアン・ストラップマッチで勝利する。

シリーズ最終戦の11月30日には小林が

タイトルを奪還するのですがその2日前に

ワフーが負けてしまえば小林がたとえ勝ったと

しても序列が根底から崩れ落ちるのは必至で
マッチメーカーである草津がこの勝敗を考え、

吉原社長もオケ、ってそれはないやろう!

小林の防衛記録をストップしたワフーマクダニエル

小林は国際プロレスへの愛情がだんだんと薄れてきた。

 

時を同じくして草津の陰険なイジメは周囲に

漏れ始める。ゴング誌の編集者が新日の

新間マネージャーに放った一言。

「小林浮いてますよ」

新間が小林獲得に動いたのは昭和48年11月頃

なので、てことは小林的にはワフー戦あたりは

相当嫌がらせに思うところが既にあったという

ことでしょうね。

 

あのさ、せっかくのいい流れをどうして

潰してしまうような扱いをしてしまうのよ?

どいつもこいつも!

ここから国際プロレスはどんどん推進力が

低下していくのでありました。