直近いくつかの記事にコメントありがとうございます。先に公開させていただき、追ってお返事させていただきます。


元宙組・有愛きいさんの急逝問題では、劇団と有愛さんのご遺族の間で合意書が締結され、一応の決着を見ました。「ご遺族が納得された以上、これ以降はもう外野は何も言うべきでない」という意見も見かけます。かなり「いい子ぶりっこ」な気もしますが、一面そうかもしれません。「宙組公演が再開されれば見に行く」というファンも多いようです。もちろんそれは自由なので、楽しめるなら楽しめばいいと思います。


が、私はやっぱりおかしいことはおかしいと声を上げ続けることが大切だと思っていて(ジェンヌ口調)。じゃないと、劇団に足元見られるというか、「ファンなんてチョロい」と付け入る隙を与える一方かと。


タカラヅカファンって本当に優しいというか、お人好しというか、劇団に対しては不平不満を口にしても、ご贔屓はじめ生徒には寛大ですよね。今回、劇団が加害生徒を守ったように、ファンも生徒を過剰に守る。それはあまりに「タカラジェンヌ性善説」に立ちすぎてるからだと思うんですよね。「●●さんは頑張ってるから」「▲▲さんは素敵な夢を見せてくれるから」。


でも今回、生徒たちのパワハラが明らかになり、劇団も認めました。本当にとんでもないことだと思います。そもそも文春によると、宙組は“学級崩壊”状態で、グループラインで「まじでいい加減にしろよ」「お前、ぶっとばすぞ」「一刻も早く謝れよ」などと口汚い言葉が飛び交うありさま。私にはフェアリーの仮面をかぶった悪魔としか思えませんけどね。まぁ割り切って表面的に美しい薄っぺらいものを見られればそれでいい、ということならそれでもいいのでしょうが。


そもそも宙組の上級生たちは今回、「パワハラの疑いが晴れてシロだった」ということではなく、「実際にパワハラをしていて真っ黒だった」ということですからね。しかもそれで仲間を死に追い込んでいるわけで。亡くなった有愛さんはもう絶対に戻っては来ない。パワハラの疑いが晴れたならともかく、それを「おかえりー」と迎えることには相当違和感があります。それが普通の感覚だと思うのですが、そこは「タカラヅカファンがお花畑」と言われるゆえんなのかと。


今回、タカラヅカの閉鎖性、異常性が浮き彫りとなり、「治外法権」とばかりにさまざまなデタラメがまかり通っていた実態が分かりました。劇団の運営はガタガタで、宙組生たちもあまりに未熟だった。これを許した背景にはファンの甘さも絶対あったはず。それで劇団あるいは生徒たちがつけあがったという側面も否定できないと思います。


これで宙組公演が始まってチケットが売れようものなら、また劇団を思い上がらせ、生徒たちの勘違いを助長してしまう。かといって私は宙組チケットの不買運動を呼び掛けるような立場でもありませんが、タカラヅカファンには劇団や生徒をもっと厳しく見る目も必要かと思います。


劇団は加害生徒たちを守ったけれど、であるならば当該者たちは今度こそ自ら身を引くべきとも思います。それが常識ある社会人の取るべき道では???いくら「お手紙文化」が根付くタカラヅカとはいえ、ご遺族に直接対面もせず謝罪文で赦しを得られたって、本当にご遺族も寛大だなと思います。しかもあろうことか謝罪していない生徒も、謝罪文が間に合わない生徒もいたというのに…。つくづく「現体制で」公演再開に向かう意味が分からない。


一連の問題は、文春が報道をリードしました。劇団が掲載を取りやめた調査報告書やご遺族との合意事項の中身を見ても、文春が報じていたことはあらためて大方間違いなかった印象です。ともすれば重大な人権侵害でしかないような内容を毎週報じていましたが、取材、裏付けがよほどしっかりしていたということなのでしょう。名誉毀損で劇団が訴えたとも、これから訴えるとも聞きませんし。それにもかかわらず、「文春報道はデタラメ」などと騒ぎ立てるX(旧Twitter)ユーザーがいたり、文春廃刊を求めてオンライン署名を始めるファンがいたり…。呆れてモノも言えません。報道初期は特に「文春は信じない」という宣言がSNSに溢れていた記憶です。不都合な現実を突きつけられると、とにかくまずとにかく否定して逃避するタカラヅカファンの特性を見た思いです。「汚いものは信じない」。お花畑脳の極みですよね。とにかく「タカラジェンヌ性善説」に立ちすぎていた。


タカラヅカ110年の歴史は、ファンとの馴れ合いで築き上げられた側面も大きかったのでしょう。でもこんな悲しい出来事が起きてしまった今、ファンも劇団や生徒との向き合い方を今一度、考え直すべきなのではと思います。タカラヅカが、搾取なく、日本が誇れるエンターテインメント集団として生まれ変わるために。