先日、関西に行く用事があり、隙間時間に京都の国立博物館を訪ねました。

京都駅からバスで行くとなると、かの(not 潤花)206系統が便利。この系統は、外国人を含め観光客にすさまじく人気のある清水寺をはじめ、三十三間堂、八坂神社、知恩院などを経由して北大路バスターミナルに向かう路線。京都駅のバスターミナルの206系統乗り場はいつも長い列ができていて、この日もそうでした。


並び始めて15分ぐらいして、たまたま2台続けざまにバスが来て、2台目に乗ることができました。4つめの「博物館三十三間堂前」で降りるため、バスの最前部で立つことに。バスは満員で出発しました。「自分が最初に降りる客だろうなー」なんて思っていたら2つめの「七条河原町」を前に降車ボタンが。停留所に到着し、扉が開いても誰も降りないので、運転士が「降りる方、いませんか?ボタンは間違いですか?」とマイクでアナウンスすると、車内後方から高齢女性が「後ろ(のドア)から降ります」と返答。あまりに混んでいて、前の降車扉までたどり着けなかったんですね。その女性、降車後、バスの前部までやってきて、運転士に敬老パス?みたいなものを見せたので地元の方のよう。そしたらなんと運転士が「七条河原町やったら208系統がガラガラやのに、なんでわざわざ混む206系統に…。工夫して乗ってもらわな!!」と言い放ったんですよ…。女性は「すみません」と言って去って行きました…。

まぁ運転士の言いたいことも分からなくはないのですが、さすがにこの発言は…。敬老パス?で乗ってはいたものの「お客様は神様」ではないんかい!!ネット上では京都市バスの運転士は結構横柄という情報もあるのですが、京都人の恐ろしさ(偏見??)を垣間見ました…。ちょっとありえないですよね。

ちなみに博物館を見物後、帰京のため京都駅に戻らねばならず、「博物館三十三間堂前」でまた206系統を待っていたのですが、最初に到着したバスが既に満員だったようで素通りされました…。まだ1人、2人は乗れそうなのに…。どうせ次の「七条京阪前」では誰か降りるでしょうし、1区間だけちょっと詰めるのは大丈夫なはずなのに。


実はその直前に京都駅八条口へ行く、市バスとは違うバスが来て、それに乗ろうかと思ったのですが、バス停のある逆側の歩道で信号待ちをしていてバス停にたどり着く直前に発車されてしまい…。「普通こういうのって運転士が気付いて待ってくれるよな…、ケチくせぇ!!!」とこれも悔しくなり…。

他にも数人バス待ちの人がいて、次の206系統を待っても乗れる確証がなかったので、時計とにらめっこしながら京都駅まで歩いたった!!!

京都のバスって本当に恐ろしい😠😠😠!!!


…さて、京都体験の憂さ話はこのぐらいにして、タカラヅカの話題に。先日、宙組大劇場公演 『宝塚110年の恋のうた』『FINAL FANTASY XVI(ファイナルファンタジー16)』の上演が見直され、作品を差し替え、さらに初日を遅らせた上で上演される旨の発表がありました。

私は一貫して宙組解体論者なのですが、劇団が目指すように何かを上演するとして、その作品は一体何になるのでしょう???そもそも通常の公演のように芝居1本立て、もしくは芝居とショーの2本立ての体裁は整うのでしょうか???通常は大劇場以外で上演するようなコンサート的なものになるのでしょうか???そして主演者は???

劇団がいつから別作品の上演に傾いたのか知る由はありませんが、通常スタイルの公演を想定すると、今から準備して間に合うのは再演モノに限られますよね。もちろん海外ミュージカルはNG。さらに原作モノも原作者に迷惑をかけるのでNG。となると、柴田侑宏氏か正塚晴彦氏のオリジナル作品か…。でもいずれも暗い作品が多く、役者(特に主演者)を選びますからね~。2人の作品は全国ツアーは全国ツアーや別箱で再演されることも多く、そことの差別化も意外と難しいでしょうし…。

で、考えれば考えるほど分からなくなり、「やっぱ解体しかないじゃん」となっちゃうんですよね…。


「とりあえずトップの芹香斗亜を専科に異動させ…」みたいな意見もちょいちょい目にしますが、そもそも専科って「とりあえず」行くところではないはず。そりゃ花組娘1・星風まどかの宙組からのスライド時には「とりあえず」感がありましたが、それは宙組で相手役だった真風涼帆にパワハラされて追い出されたからの「超法規的措置」であって、広義の「宙組問題」ですよね。本当に根が深い…。