今朝母から電話がかかってきました

大会で優勝したよー!と嬉しそうでした

もともとスポーツ一筋な母は

主婦をやりつつも

こうして趣味とは言えないレベルの趣味と共に

毎日を送っているのです


こんな報告を聞くたびに最近

早く私自立したいなあと思うのです

早く自分で稼いだお金でご飯を食べていけるようになりたいのです

そしたら、母はもっと自由に動けるんじゃないかななんて

考えてしまうのです

親子の縁を切りたいとかそういうのではなくて

母の生き方を応援して、見守っていきたいのです

絆的にはどうかわかりませんが

やはり子供というのは資金的に足枷のような気がしてしまう

今日この頃でした

(バイトをしてお給料もらって

自分って本当無力だなと感じたのが大きいと思います)


ある日妹の進路相談にのっていたときのこと

妹が自分の考えを省みて

「きっと私はお母さんみたいになりたいんだー」と呟いておりました

何だかおかしくて、もどかしくて、二人で笑いあっていました


母親って、無条件に、甘えることをを許されていて。

昔はそればかりの存在だったのですが

母を一個人として、一人の人間の生きざまとして

見つめていたりする私でありました


それでも、

そんなこんなで大会行ってたから、宅急便ちょっと待っててねー

そうめんとか送るからー

と言う姿は

母親そのものです


あ、今日って父の日でしたね

父も好きですよ

でも父についてはまた今度で

人間は何かの選択で迷っとき

基本的に同じ価値だから迷い

二択においてどちらかを選んだら一方を失うということになる

これをプロスペクト理論の価値観数で考えてみると

同じ価値の場合、得た喜びより失った悲しみの方が強いことより

人は何かの選択をしたとき

必ず後悔するように出来ているのです


とありました

『マンガでわかる心療内科2』(少年画報社)

※自分で要約したのでわかりづらいかもしれません

すみません本編は本当にわかりやすいのでおすすめです


また、昔どこかで

やりたいことと、しなければならないことの選択で迷った時は

後者を選んだ方がいい

というのを聞いたような気がします


しかし今日と同じ明日

今年と同じ来年が

あるという保証も

無いという保証もない

また次があるかもしれないし

もう次は無いかもしれない


全部拾いたいのに

全部拾おうという気持ちはあるのに


手の届く範囲は絶対捨てない

それとも

何かを得るためには何かの犠牲が必要?


自分でもよくわからなくなってきました

とりあえずわかることは

私には腕二本しかなくて

私という人間は一人しかいないということです

一つ前の自分は

目の前に見える今を重視しすぎた生き方をして

それはそれで手にしたものも多かったけど

結果的に失ったものも大きかった


(人間というのは負の感情の方が

印象に残りやすいんだそうですね)


だから今度は

未来のことも視野に入れながら生きてみようと

試みているのですが

今度は今度で

未来のことばかりが心配で、不安で

逆に今のことをしっかりやれていなくて

今しか出来ないことを大切に出来ていなくて

今を生きているはずの自分の足元は

浮いているような感じになってしまっています


過去の清算をしながら

現在をしっかり歩んで

未来のためにも少しずつ積み重ねていく


勉強と部活と遊びの

両立の延長線みたいですね本当


両立って

いつまで経っても

課題なんだなあと苦笑するこの頃です

<恋愛ゲームで仮想社会にひきこもり? 女子大生が疑問呈す> http://nico.ms/nw72054 #niconews


恋愛ゲーム自体を批判したいのか

恋愛ゲームをしている人を批判したいのか


恋愛ゲームとひきこもりの関係が

因果関係であるのか

相関関係であるのか

しっかりした理由は

私自身よくわかりません

そうなのかもしれないし

そうでないのかもしれません


でも私がこれを読んで思ったのは

現実における恋愛というのは

皆に等しく各々の人生において

大切なものなのでしょうか

皆が必ず

現実における恋愛や結婚に向き合わなければならないのでしょうか


価値観というのは人それぞれで

恋愛が自分の人生に潤いをもたらしてくれると考える人もいれば

恋愛よりも仕事や研究が潤いをもたらしてくれると考える人だっているし

恋愛よりもゲームやアニメや漫画が自分にとっての潤いだという人だっているはずです


現実を生きることは大切だと思います

しかし、現実で恋愛や結婚をしなければならないという決まりはないはずです


何が大切か、何を大事にしたいかは

誰にも何にも縛られることなく自由だと思います


そして

恋愛ゲームをする人の中には勿論ひきこもりの人だっているし

そうではない人だってたくさんいます

現実で恋愛にいそしんでいる人だって

色んな人がいると思います


きっとこれを書いた人は

自分の中で

現実の恋愛に価値があると考える人なのだと思います


それと同じように

そうではない価値を持った人だっていると思います


そんな感じで

どちらかといえば後者の私が

お送りしました

とある日に

友人が偽善のことについて考えていたので

私も私なりに考えてみたのです


偽善

本心からでなく、みせかけにする善事。


始まりは募金という話題だったのですが


私は

偽善という言葉に

引っかかりを感じる人というのは

それが他人のためではなく

みせかけの自己満足なのでは?

と考えてしまうから

なのではないかと考えました


募金という行為が

よし!募金したぞ!という

結局はただの自己満足だということに気が付いて

もやもやするのでは?

と考えました


どうでしょうか?

この前提が違えばこの先の話は皆無なわけですが…


そうだとして、

所詮、自己満足。が偽善だとしたら

そうだとしたら、

それは悪いことではないと思うのです


他人のための募金ではない、

自分の安心のための募金。


早く日常が戻ってほしいと願う利己的な思い、

被災地の人の笑顔が見たいという利己的な思い、

誰かの役に立つ存在でありたいと思う利己的な、


そんな思いを抱くことが悪いことだと

誰が責められるのでしょうか


先の記事にも書きましたが

利己と利他をくるくる回るのが

人間関係だと思うのでした


ま、それから少し言いますと

募金は結果論で良しだと

私は思っています

取り敢えずお金が無ければ始まらないわけですから

利他

自分を犠牲にして他人に利益を与えること。

他人の幸福を願うこと。


自分ではない、誰かのためという行動は

一般的に美しいものだということを

よく耳にします


でも、必ずしもそうではないとも思うのです

例えば友人関係

友達と付き合うのは

友人のためでしょうか


そういう人もいるかもしれませんが

私は、その友人といると楽しいから、

友人を見て私も頑張ろうと思うことが出来るという

自分を高められる存在だから

私と似ているところ、似ていないところがあって

それを比較したりするのも楽しく

友人の考えていることも面白いから

その友人と付き合っているのです


友人関係は

自分のために紡いでいるものだと

私は思うのです


こんな私ですが

私という存在が

時に、友人のお役に立てたら

それはおまけのラッキーだと

思うのです


でも

友人のお役に立てる自分でありたいと

頑張っている自分がいるのも確かです


利己が利他に

利他が利己に

人間関係のぐるぐる

父方の祖母が入院しました


母方の祖父母が車ぶつけられて祖母が救急車で運ばれました


いつもは私から電話をかけることが多いのに

母から電話がかかってきました


電話しているときの口調はいつも通りだったけど

私の尊敬する、理想とする父と母が、

不安になっているのが

電話越しに伝わってきました


父と母の子供という立場での私は

しっかりしろーと思っていて

こんな年齢という立場の私は

自分の親が心配なんだなと冷静になっていて


理想であり続けてほしいと願う子供の私と

父も母も一人の人間だと接する私と


大人なような、子供のような、私です

私もそんな年齢になったんだなあ

なんてしみじみ

私が卒業した高校に通っている妹から

嬉しいお話を聞きました



妹は美術をとっていなので

美術の先生とはあまり認識が無いらしいのですが

先日美術の先生に呼び止められた妹は

先生が私のことを覚えていて

私の作品を褒めていたよと

教えてくれたのでした



私は運動部の人間で

美術は好きだったけど

美術の授業でしか先生とは関わりが無かった

はずなのですが

もう何年も経つのに

私の名前を覚えていてくれたことも

作品が褒められたことも

素直に、とても嬉しかったです

涙が出るほどに



評価されたり

伝わってほしいものが伝わったり

人の心に何か残すことが出来たり

そんな嬉しさを噛み締める度に

私は

表現者になりたいという

子供のような思いを

捨てきれずに

僅かな期待を

自分の小さな能力への

僅かな過信を

してしまうのです



自信の無さから

世界の広さから

表現者という未来は

捨ててしまおうと思っていても

それでも私は

心の何処かで

自分の能力も

僅かな可能性も

諦めきれずに

期待を持ち続けている



そうして

自分の将来に悩んでいるこの頃です

友人と話し合ってみた結果
腹黒と八方美人は違う
という結論に達しました

八方美人というのは
大人のスキルを含み
腹黒というのは
人を騙して楽しむ
という定義になりました

昼ご飯のときに
こんな話に付き合ってくれる
友人に感謝と共に
尊敬の意を表します、ほんと。

バイト先の同僚が

私実は腹黒いんだよ

という告白をしてきました

顔可愛いし

いつでも誰にでも笑顔でいる

私の憧れ的な子だったのですが

その証拠にと

いつも笑顔でいる日々を

次から次へとぶった切っていくお話をしてくれました

これって八方美人って言うのかな…

正しい使い方わからないけど

と零していました

みんなとうまくやっていくことが

最優先になっちゃってさ

とも言っていました

そういう風に考え付いた

トラウマについても話してくれました


ごめんね

そういう人、

人間的に面白くて好きなんだよ

と心の中で微笑んでいたのは私です


そしてそうやって

本当のことを打ち明けてくれている

人の表情、雰囲気、姿も

面白くて興味深くて

何より打ち明けるという行為を

嬉しく感じてしまうのです


むしろ皆さん

私に注意した方がいいです

と笑ってみます