久しぶりにバス旅行。車窓から個人の家の軒下にたくさんのつるし柿。都会的でなく、寂れているわけでもなく、自分の年代的にはほっとするものすら感じる。

小布施、いいとこだったなあ。

          つるし柿しなびてもなお堂々と

                 光に向いて美味を求める

ちらちらと雪降る北陸に行き


ただひとり無音の音の雪模様

         布団の中だけ僕にやさしい

あいだみつをが「ひとりになりたい ひとりはさびしい」とかいっていたなあ、と思いつつ夜は更けてゆく

 が終わるとが来る。そしてそのうちが訪れになる。時間の流れはいつも一定の周期を巡っている。

 自分はどうかといえば、同じことなんてありえない。1日1日同じことを繰り返しているようで、ふと昨年の秋を思えば、やはり今年の秋とはやはり違った。

 秋刀魚の味や、紅葉の色合いなどは同じように感じる。他のものは同じ秋色に染まって見えても、自分はやっぱり違う。他のもの、他の人も同じ想いかもしれない。自分だけなんて思うのはある意味傲慢かも・・・。

 今年の秋、ブログ始めた。去年の秋は母がいた。今年の秋は子犬が7匹いる。去年の秋には知らなかった人が、何人もいる。一期一会・・・。

「いつでも夢を」古い歌の題名だが新しい時間、新しい季節、新しい出会い、新しい自分いつでも夢を!!

そういえば、今年は個人的にはがおいしく感じた季節でした。

季節感を感じるとき人は詩人になる。うまいへたではない、と自分に弁解。弁解しながらブログに書き込むこの秋の新しい習慣

季節はずれとも思いましたが、をテーマに・・・



はらはらと夢幻桜の花ちらし 無常の風よ今はこのまま

毎年、「桜」という題名の曲が発売され、しかもみないい曲ですよね。サクラはなぜにわれわれ日本人に詩を与えてくださるのか!

紅葉の季節ですが、あえてテーマはサクラでした。

泣きたい夜空に先越されちまって 蛙がないても僕は泣けない

次は明るいのを掲載したいな、と・・・

二人寝も独り心地ただひとり 秋雨静か朝を待つ


どうも仕事を終わって夜に考えることが多いので、その時間のものが多くなってしまう(-_-;)

 朝のようだ。カーテンの隙間からの光が閉じたままの眼を鋭く刺激する。

 目蓋が腫れているのがわかる。わたしは眠ったのだろうか?起きていたのだろうか?それさえ判然としないくらいの虚脱感。

 あいつが昨晩出て行った。適当な奴で、暫く帰ってこなかったりなんてことはしょっちゅうだが、今回はもう帰ってこないつもりだ。つもり?違う、帰ってこない、わたしにはわかる。

 眼が痛い。でも、もう泣くつもりもない。

 わたしは自由になった。自由の力、自由の恵み、自由の責任。みんなわたしのものだ。

 わたしは変われる。

 冷たい水で顔を洗おう。わたしはそう思った。そうすれば目蓋の腫れもすっかり治る気がした。

 わたしは太陽の光と同化させるような気持ちで眼をそっと開いた。

今、家の庭には我が家の愛犬と生まれて1ヶ月の子犬が7匹、毎日賑やかに過ごしております。勝手に侵入したこの子犬たちのお父さんへの怒りも消え、ほんとにかわいいものです。でも飼ってくれる人探さねばいけません。かわいいだけでは8匹も飼えませんから。

               母犬に乳飲む子犬等加わりて

                        秋色の庭暖かい空間

ほんとうに景色まで変えてしまうすごい力!!ほのぼのとした中にも生の尊厳を感じます。

夕方は色々な想いがわき上がるとき。今日一日のこと、明日のこと・・・。

鱗雲茜に染まり我一人

       夜がまた来る朝もまた来る

今日は朝からいい天気。天気が良いと、あの日も晴れていたらと思ったりする。

待ちわびて空を見上げる十三夜

          漆黒の雨にもらい泣き

確か今年は十五夜は見ることができた。

老松の威厳の静寂張り詰めて

           中秋の光何処を照らすか

月を眺めるなんていうことも少なくなった今日この頃、古の人は月を見てあるときは情緒的になり、またあるときは科学的な眼で眺めていたのであろう。もちろん、宗教的な意味も含めて。