1つとして無し? | 風似庵(ふ~にゃん)の独り言のブログ 心をフラットにして

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自分が感じた面白い事、ちょっとイイ話、考えさせる話 を徒然なるがまま 「独り言」として書いています。
まぁ暇つぶしがてら読んでいただければ…




“松尾芭蕉”‥は “寛永21年(1644年)”‥“伊賀上野(三重県)”‥で生まれました。

“藤堂藩”‥の侍大将に仕え 若君と “俳諧”‥をたしなみますが、その若君が急死した為、職を辞し “俳諧”‥で身を立てるべく “京都”‥に出 更に“江戸”‥に下ります。

その後 6年程修行を重ね、神田上水の事務役をしながら、“宗匠(そうしょう)→俳句や和歌を教える師匠”‥としての地位を確立し、“深川”‥に たった一間の庵を結び、その家の周りに”芭蕉の草”‥を植えたので、その家を “芭蕉庵”‥と名付けて住みました。

有名な、

“古池や

蛙飛び込む

水の音”

‥は、その “芭蕉庵”‥で詠んだ句だと言われています。

その後 “芭蕉”は 何回も旅を重ね、“元禄2年(1689年)”‥ 後に “奥の細道”‥にまとめられている 奥羽、北陸から大垣までの600里(2千4百キロ)‥に渡る旅に出ました。

“夏草や

兵(つわもの)どもが

夢の跡” 

‥という句は、この旅の途中で “平泉”‥に寄った際に、“源頼朝”‥に滅ぼされた “藤原”氏の遺跡を見て哀れに感じて詠んだ句です。

また、“出羽”‥では、

“五月雨(さみだれ)を

集めて早し

最上川”

“越後”‥では、

“荒海や

佐渡によこたふ

天の河”

‥といった、今も誰でも上の句を詠めば、下の句が出てくる様な有名な句を残しています。

旅から戻った “芭蕉”‥は、今度は西国に向かいますが、元禄7年(1694年) に“大坂”‥で病に倒れてしまいます。

そして最期は、親しい門人に看取られながら、51年の生涯を閉じました。

その “芭蕉”‥が黄泉の国に旅立つ前に詠んだ句が、

“旅に病んで

夢は枯野を

駆け巡る” 

‥という “辞世の句”‥と言われる?句です。

意味は、

“旅先で、死の床に伏しながら、見る夢はただ、あの野、この野と、知らぬ野を駆け巡っている”

‥というもので、この句から読み取れるのは、この句を詠んだ時点では、“芭蕉”自身は

”まだ旅を続けるつもりだった?”

‥という事なのではないか?‥と ふーにゃんは感じます。


また、この句に関して “芭蕉”‥には あるエピソードが残っています。

それは、“芭蕉”‥の門人達が、

“昔から、有名な文人や武将は、辞世の句や歌を残しています。

先生程の方に辞世が無かったのかと、世間の人から言われては残念です。

また、私共の為にも、是非とも辞世をお残し下さい。”

‥と懇願したのに対して、“芭蕉”‥が返した言葉が、“芭蕉”‥の “生き様”‥を表している‥というものです。

その言葉は、

“昨日の発句はけふの辞世、
 
けふの発句は明日の辞世、

我が生涯いひ捨てし句々、

一句として辞世ならざるは無し”


‥という言葉で、訳すとしたなら、  

“人は何時死ぬかわからない。

それ故、今日作った句が、辞世の句になっていいという思いで、これまでの一句一句、全身全霊を込めて詠んできた”

‥というものです。

つまり、

“どんな時でも、全身全霊で活きている”

‥という事を “芭蕉”‥は言いたかったのだと ふーにゃんは思います。

これらの事を踏まえて考えられるのは、“芭蕉”‥は、“死の床”‥につきながらも、

“生きる希望を失わず”

‥もしそれが叶わなくても、

“全身全霊で活きてきた自負があった”

‥ので 

”後悔の無い人生を送った”  

‥と思っていた‥という事ではないでしょうか?


“緊急事態”‥の期間が延び、5月末まで延長されました。

そして、“行動変容”‥を促す 政府の指針が示されたのですが、その指針を読むと、

“帰宅したら手と顔を洗い、着替えてシャワーを浴びろ”

“誰と何処で会ったのかメモを残せ”

“会話する時は真正面は避けろ”

“大皿料理をシェアするのは駄目”

“食事は2㍍間隔を開け、横並びで‥”

“毎朝 検温をしろ”

‥等々、ふーにゃんの今までの生活には無かった事を 習慣化しなければならない‥というものです❗

この指針を全て実行しよう‥として ふーにゃんが行動変容するには、時間がかかってしまいそうですし、正直 

“面倒臭い”

‥と思ってしまう感情も ふーにゃんにはありますが、よくよく考えてみれば、“芭蕉”‥の様に 常に

“全身全霊”     

‥で活きてきた人にとっては、容易い事かもしれないのではないか?‥とも考えられます。

だって、この指針は、“行動”‥を “変容”‥する事を促しているだけの事で、その“生き方”‥の本質について促している訳ではないから‥です。



“昨日の手洗いは、今朝の検温に

今朝の検温は、明日の行動に

我が生涯の捨てし行動は

1つとして無し”

風似庵

‥といきますかどうか?てへぺろ