覚悟が無ければ‥ | 風似庵(ふ~にゃん)の独り言のブログ 心をフラットにして

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自分が感じた面白い事、ちょっとイイ話、考えさせる話 を徒然なるがまま 「独り言」として書いています。
まぁ暇つぶしがてら読んでいただければ…




昔の男性は12歳~16歳になると “元服”‥と言って、大人の仲間入りをしたものであるが、それは今より遥かに寿命が短かった‥という背景があった‥からであろう?

若くして大人の仲間入り‥するという事は、それだけ今よりギュっと詰まった人生だったから‥とも考えられるし、大人になる事に覚悟がいっただろう‥とも考えられる。

だから、その頃のそんな年頃の男性は今のその年齢の男の子よりずっと肝が据わっていた様に思う。


例えば、“徳川家康”‥の子供 “頼宣(よりのぶ)”‥は、13歳の時が あの “大坂の陣”‥だったのだが、その戦いの後、“家康”‥の前に出て、

“先手を仰せつけられずで、手柄を立てられず、悔しい❗”

‥と話し、それを聞いた傍らに居た家臣が、

“殿はまだ春秋に富みます。御一代の間には、きっと素晴らしいお働きをなさいましょう。

せいてはなりませぬ❗”

‥慰め?‥ると、

“よにまた十三の時があるのか‥”

‥と涙をこぼした‥のだという。

“まだ若いから‥この先 経験を積んで 輝かしい成果をあげるだろうから心配は要らない” 

‥と家臣が気を使った?‥のに対して、

“13歳は二度と来ない‥先陣を任せてもらえなくて、成果をあげられずに‥”

‥と返したなんて、 “頼宣”‥に気を使った家臣より 大人の発言‥だったのではないだろうか?


また、“真田幸村”‥の息子 “大助”‥は、

“落ち延びよ❗”

‥という “豊臣”家の家臣の武将の言葉を聞かず、“豊臣秀頼(ひでより)”‥の自害を見届け殉死した‥のだが、その時の “大助”‥の年齢は 15歳だったし、“宮本武蔵”‥は、13歳の時 初めて 新当流(しんとうりゅう)‥の “有馬喜兵衛”‥という兵法者と試合をして勝っている。

また “吉田松陰”‥は11歳の時に藩候に “武教全書”‥を講義し、“橋本左内”‥は15歳の時 “啓発録”‥を書いている。

単純に年齢だけで、今の若者と比べる事は出来ないが、多分 今の若者(ふーにゃんの若い時代を含む)‥より、環境的にも時代的にも、“生きる”‥事に対して “覚悟”‥がいったのだと思う。



そんな事を考えると、“小泉進次郎”氏が、男性として史上最年少の38歳で入閣した‥なんて事が話題になっている‥事に‥ショボーン

まぁ、年齢は関係ない‥のだから、“進次郎”氏には、“覚悟”‥を持って政務を推進して欲しい‥と思う。


“歳重ね

見た目は大人に

なりにけり”


”見た目だけ

覚悟が無ければ

大人とは?”

風似庵


そんな “覚悟”‥に乏しい‥ふーにゃんであった‥ガーン