“反省”とはどの様な意味なのだろうか?
…と考えさせられるような昨日の“安倍総理”の記者会見だった。
総理は、“加計学園”問題に対しての文科省や内閣府のチグハグな対応に対してや、自身への“印象操作”に思える質問に対して(総理はそう感じている…)、大人げない対応が、国会を混乱させ、それらの問題に審議を尽くす事が出来ず、国会が閉幕してしまった事に対して、“反省”の弁を述べ、“陳謝”したのだが…。
“反省”を改めて辞書で引いてみると、
①自分のしてきた言動を省みて、その可否を改めて考えること。
②自分のよくなかった点を認め、改めようと考えること。
とあった。
世間での一般的な“反省”の解釈は②の様に、よくなかった点を認め、それを改善しよう…と考え 行動に移す事…だと思う。
しかし、昨日の“安倍総理”の会見での“反省”という言葉の意味は、①の様に省みて、その可否を改めて考える…という様な意味にとれ、更にふーにゃんには、可否を改めて考えて、可だった…として、そのままウヤムヤにする…と言っている様に思えた…。
もし、“反省”の意味が①の意味だけだった…としたら、改めて可否を考えて否だったとしても、その先が無い訳で、それは本当の意味での“反省”とは言わないのではないだろうか?
ましてや、否で無く可と考え、内閣支持率が落ちたから、国民に“反省”している姿勢を見せておけば、時間がたてば国民も忘れてしまうから…という様な考えが内包されていた…としたら…。
ここ何週間かの官邸や政府の動きを見ていると、残念ながら、その様に感じてしまう、ふーにゃんである。
“反省は
否と省みて
未来有り”
風似庵
“安倍内閣”が賞味期限を感じる様な、昨日の総理の会見だった。