第1546作目・『ザ・メニュー』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

テーマ:
『ザ・メニュー』

(2022年・アメリカ)

〈ジャンル〉ホラー/サスペンス



~オススメ値~

★★★★☆

・高級レストランで繰り広げられる狂気と皮肉のサスペンス。

・アニャ・テイラー=ジョイが強くて美しい。

・シェフは誰のオーダーに従って料理を振る舞うのか。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『なかなか予約の取れない孤島のレストランに招待されたタイラーは今晩のディナーを待ち遠しく思っていた。同席するマーゴはタイラーほどのグルメ通ではなかった。島に到着すると給仕係のエルサによって客の一人一人に予約の確認が行われる。タイラーの同伴者の名前が違うと指摘を受けタイラーは焦るが、マーゴは大して気に留めていなかった。レストランまでの道のりでは島で自給自足の生活をするスタッフたちの生活場や今晩の食材を調達する様子を案内される。やがてオープンキッチンの厳かなレストランに入店する一同。シェフのスローヴィクの発声により、スタッフたちは一様に作業の手を止めて客たちに挨拶の場を作った。一皿ごとにスローヴィクから料理の説明がなされ、グルメな客たちは喜んで料理を楽しむ。しかし、3皿目のタコス料理から客たちは何かがおかしいことに気づき始めた。やがて4皿目の紹介と共に副シェフが客たちの目の前で自害する。』


〜死ぬほど素敵な夜(ディナー)へようこそ。〜


《監督》マーク・マイロッド

(「アリ・G」「ビッグホワイト」)

《脚本》セス・リース、ウィル・トレイシー

《出演》レイフ・ファインズ、アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト、ホン・チャウ、ジョン・レグイザモ、ほか





【計画通りの、シェフのおまかせコース】

人気のシェフによって繰り広げられる、高級レストランのおもてなし。
しかしそれは、シェフによって綿密に計画された死のディナーであった。ずっと見たかった作品をようやく鑑賞できた。

まず、提供される料理が見て楽しい
芸術品のように仕上げた美しい料理の数々が登場する。本物のグルメを擬似体験するかのよう。
しかし、目の前の美しい料理に舌鼓を打つだけではグルメ家の彼らと同じである。
シェフが求めているのは、目の前の料理から何かを感じ、作り手側が何を伝えようとしているのかを考えることこの映画そのものが、シェフの作った料理と同じく考えることを求めているのだ。
そのため本作では終始もどかしく、スカッとしない展開になっている。
なぜならそれは、シェフの狂気の「理由」が明白に語られないからなのだ。

なぜ客たちに混じってシェフの母がいたのか、なぜ彼女はずっと意気消沈した顔をしているのか。
なぜオーナーは天使に見立てて殺されたのか。
なぜ彼らが客として選ばれたのか。
その理由が明確に語られるようなことはなく、語られたとしても「そんなことで人を殺すか?」と思わされることばかり。シェフの人生が狂わされたという背景がはっきりとは見えてこないのである。

まるで私たち自身がこのレストランの客になって一緒に謎解きをしているかのよう
真相を見抜いてこの狂気の外側から俯瞰することができるのか、それとも訳が分からないと不条理に巻き込まれていくのか
シェフの綿密に立てられた計画に翻弄されていくのは、奇妙でゾクゾクする。

このレストランはオープンキッチンのため厨房とホールが一体となっており、客席から料理人たちの調理を見ることができる構造となっている。
ディナーに招待されたグルメな客たちは、彼らの調理に興味津々。
このレストランでは有名シェフのスローヴィクの指揮の下、彼を崇拝する助手たちが料理を手掛けているのだ。スローヴィクの指示に的確に行動する彼らはまるで軍隊のように統率が取れている
しかも、冒頭で給仕係のエルサが語っていたが、彼らは日夜料理のために寝食を共にしており、彼らとスローヴィクの関係はまるで宗教上の教祖と信者のようなのである。

さらに料理を提供するたびに、スローヴィクは大きな拍手によって客たちの注目を集め、メニューのテーマを語ることをお約束としている。楽しそうに会話をしていても、不穏な展開に戦慄していても、逃げ出したいと小声で会話をしていても、スローヴィクのひと叩きによってホールの空気が一瞬で静まり返るのだ。
すなわち、このひと叩きでこのレストランは自然とメインシェフのスローヴィクがすべてを仕切っていることが分かる。
客も含めて、スローヴィクが統率するレストランなのだ。

一品目は海をテーマにした帆立のメニュー。岩場に見立てた飾りと一緒に、採れたての海産物を味わう。これは芸術的でシンプルに美味しそうだった。
二品目に出て来たのが、パンの乗ってないパン皿である。
パンに塗るソースだけは数種類あるけど、肝心のパンはない。パンはかつて貧困層の食べ物だったというシェフの物語に従って、富裕層のゲストたちにパンを出さないという構想である。
グルメな彼らは意表を突かれたメニューにひどく感心するのだが、招かれざる客マーゴだけは呆れていた
食堂は食事を出すべきというマーゴの持論は一般的な価値観で、このレストランでは一般論こそ異質なのである。
しかし、グルメ家たちはこんな皿でも喜んで受け入れる。ジャムやソースに喜ぶなど後々から考えたら、かなり皮肉めいた一品であった。

そして運命の3皿目。ここから狂気が明確に伝わり始める。
タコス料理のトルティーヤにプリントされていたのは、客たちが隠している秘密であった。脱税の証拠、不倫現場の再現、禁じられている料理の写真をシェフに黙って隠し撮りするタイラーの姿。
シェフが伝えたいメッセージが悪意に満ちていることを感じ取った客たちは動揺し始める。
やがて4品目の副シェフの自害をテーマにした料理によってレストランに血が流れ、このディナーがスローヴィクとスタッフたちによる客を巻き込んだ心中であることが判明するのだ。

スローヴィクを演じたのはレイフ・ファインズ
物静かな語り口の向こう側にこれから始まる作戦を見据えた冷ややかな執念が感じられる。
シェフとしての地位と名声を得て狂気が芽生えたスローヴィクは、もはや芸術家そのもの。
マーゴがスローヴィクの食事に手を付けない姿を見て、女子トイレまでその理由を聞きに来てしまうのは、彼の芸術家としてのプライドが今まさにズタズタに傷ついているからだろう。
スローヴィクはきっとカリスマではない。女子トイレまで付いてきてしまう気持ち悪さまである変態的芸術家なのだ。

マーゴを演じたのは、アニャ・テイラー=ジョイ
相変わらず美しく、存在感がある。このレストランの中でたった一人の"異質"の存在を終始演じ切っており、マーゴだけが唯一の「まとも」だった。



【テイクアウトでチーズバーガー】

彼らがなぜその場から必死になって逃げ出さなかったのか。なぜ共闘してシェフたちと戦わなかったのか。もちろん刃物を持つ彼らには敵わないという計算が働いたというのもあるのだろうが、理不尽な仕打ちを前にしてどこか従順に受け入れている。

例えば映画スターに連れて来られたアシスタントの若い女性は、どうやらただ金持ちの出身だったというだけの理由でスローヴィクの標的に相応しいと言われてしまっていたのだ。
もしかしたらそれ以外の理由もあるのかもしれないが、それだけが理由ならそんな理不尽なことはないだろう。スローヴィクに「金持ちだから」と言われて納得してしまうのはおかしい。
それなのにヒステリックに反発することもなく、絶望で泣き叫ぶのでもなく、最後のデザートのスモアとしてマシュマロの拘束衣とチョコの帽子を被らされるのを、ただ怯えて涙を流しながら受け入れるのだ。

マーゴを連れて来たタイラーも同様である。
彼は元々純粋なスローヴィクのファンであった。ところが、作り手側の気持ちというものを考えていなかった好き勝手にメニューを撮影して垂れ流したことでスローヴィクの怒りを買っていたのだ。
タイラーは終始、スローヴィクに嫌われることを恐れていた。しかし、やっている行動はマーゴの料理を横から奪い取ったりするなど、ファンとして過剰な行動ばかりでおよそグルメらしからぬ行為である。品性も、作り手への敬意も感じない。グルメを気取った、身勝手な片想いだったのである。
駅員や乗客に迷惑をかける鉄道オタクと言えば、よく伝わるかと思う。彼らと同じく、タイラーは「好き」なものに対して敬意がない。

スローヴィクはそんなタイラーにグルメを気取るなら料理を作るよう指示する。スローヴィクの弟子たちが周囲で見守る中で慣れない手つきで厨房を借りるタイラー。
仕上がったのは、食材の大きさも不恰好で味も不味い一品であった。スローヴィクはタイラーに料理の腕前がないことを皆の前で曝け出し、恥を晒した後で自殺するよう唆す。
そしてここで不思議なのが、タイラーはスローヴィクの指示通りに首をくくってしまうのだ。

タイラーが洗脳された信奉者であることを抜きにしても、あまりにも彼らが不条理に対して行動を起こさないことへの違和感を感じざるを得ない。
だが、それは結局、スローヴィクが最も彼らに対して憎しみを覚えていた問題点そのものなのだろう。
グルメを気取った彼らは、高いところから偉そうに口を出したり、勝手に満足したり、あるいは上質なものをあたかも知っているかのように語って批評する習性があり、自分たちの足で立ち上がり、自分たちの手で闘争するということをしないということ。

この島に上陸してすぐ、浅瀬で海産物を収穫するスタッフに対してグルメ家たちは、俺たちに美味しい物を食わせるためによく働けと、あまりにも傲慢な声を掛ける。「お疲れ様」でも「楽しみにしています」でもない。グルメ家にとって、料理に携わる人間は高名なシェフを除いて使役される者という価値観なのだ。

グルメの客はあくまで与えられた物を受け取るだけの存在である。シェフたちは自分たちで考えた料理を与える側の存在だ。
それなのに客を喜ばせる料理を提供するためにシェフたちが腕を磨き、素材を厳選し、時間と労力をかけて提供したものを、物知り顔で酷評するのも語られるのもスローヴィクの不満へと繋がっていたのである。
中には料理の味の違いなどまったく分からない無知なグルメもいて、スローヴィクはそういった客たちを相手にこれまで努力を積み重ねてきたことへの空虚さを感じてしまっていたのだろう。

自分の意見を持ち、自分の力で切り開いてきた経験などほぼ皆無な彼らは不条理に対して闘争しない努力を怠り、怠惰であったことが彼らの最大の罪だったのだと思う。
自らが心中に巻き込まれてしまっても、自らの死すらも受け入れ、シェフのコース料理の完成を"ただ待つ"のみ。闘争しないグルメ家の結末はどこまでも受け身的なのである。
リアリティに欠け、そんなわけないけれども、それこそ本作の核心に迫るブラックユーモアだと思った。

それに対してマーゴは違った。
本来の標的の女性に断られたタイラーが代わりに連れて来たマーゴは、グルメ思考の彼らとは違って庶民の世界を生きてきた娼婦であった。
スローヴィクの心酔しているところを利用されていたタイラーは、実はこのディナーが死のディナーであることを理解しながらマーゴを誘ったというのだ。
タイラーが彼女なら死んでも良いと考えていたことを知って怒ったマーゴであったが、そんな彼女だけはこのスローヴィクの作り上げるメニューには相応しくない"異質"であり続けており、スローヴィクにもずっと特別視されていた。死ぬ運命は同じだが、時にはスタッフ側に付かないかとスローヴィクから直々に誘われるほどに。
しかし、マーゴは彼の料理で楽しむことはできず、スローヴィクの料理は口に合わないとはっきり伝えるのだ。彼女は「闘争する側」の人間なのである。

動揺するスローヴィクにマーゴは反論する。
自らの運命すら受け入れている彼らとは真反対。彼女だけは立ち上がって抗議する。そもそも彼女だけは殺される謂れのない、巻き込まれた人間であるため抗議できるのも納得である。
彼女にはどの料理も口に合わなかった。崇高すぎて、料理を一品も楽しめなかった。
そもそもシェフがいちいち料理のテーマを語るのも最初から辟易していたというのだ。

それでは何が食べたいのかと焦って問いかけるスローヴィクに対して、彼女が求めたのは、庶民的なチーズバーガーであった。
それはマーゴがスローヴィクの部屋に侵入した際に見つけた、彼の原点である。
部屋に飾られた写真には、若いスローヴィクがエプロン姿と満面の笑みでハンバーグを作って写っていたのだ。

スローヴィクは自分の核心をくすぐられたらしく、マーゴの挑発に乗る。そして、長年作ってこなかったであろう庶民的なチーズバーガーを、厳かな厨房を使って久々に作り上げるのだ。

これまでどの料理も助手たちに作らせていたスローヴィクが、初めて自らの手でしっかりと焼き上げたというのも面白い。
これまでは高名なシェフが自らの考案したメニューに則って料理を提供し、客たちが集まって来た。ご存知の通り、それが一部の高級料理店の仕組みである。
一方で、マーゴのそのオーダーは客が食べたい物を受けてシェフが提供するという仕組みである。スローヴィクが料理の道を歩み始めた初期の頃はシェフがイニシアチブを取るのではなく、客がイニシアチブを取っていたのだ。それがスローヴィクの原点であったのである。
これまで提供してきた「執着」の料理と違い、このチーズバーガーにはスローヴィクの「愛情」が確かに入っていたと思う。
なぜならそれは、客が求めた一品だから。これまでの自分たちが追求して提供し、批評を受けてきた高級ディナーとは異なり、客が「食べたい」と望んだものを作った一品だったから。

どんなに高くて芸術的でメッセージ性の強いメニューより、鉄板の上でとろけるチーズと肉汁溢れるハンバーグでできたチーズバーガーが何より美味そう。
高価で上品な物が良いとするグルメ家たちの幻想に対して、本物の旨さとは何かを感じさせられる
今晩のレストランはスローヴィクと料理人たちの執念に満たされていた。計画を遂行することのみに目を向け、料理を「楽しむ心」はなかったと思う。
そんな中、最後に提供したこのチーズバーガーだけはスローヴィクが丹精込めて作り上げた。シェフ人生の原点であり、事実上、最後の一品となったのだ。
苦労の伝わらないグルメ家たちと違って、彼女は純粋に「美味しい」を教えてくれた
それこそが料理人の本懐だったと思う。

マーゴが一口食べてお持ち帰りを希望すると、スローヴィクは一本取られたような顔で彼女の希望に添う。
コースにはない特別料理のため、今夜の計画にはないオーダーである。スローヴィクは自然とマーゴに従わざるを得ない。
客たちがスローヴィクの計画に無抵抗であったのに対して、スローヴィクはマーゴのオーダーに無抵抗である。その関係性はファストフード店での客とシェフの関係性そのものだからだ。
そして、持ち帰り容器にチーズバーガーを入れて彼女を解放するのだ。

持ち帰ったチーズバーガーを逃げ出した船上で頬張るマーゴ。その背後で、デザートのスモアが完成していた。
マシュマロとチョコと共に、客と料理人たちが炎に包まれているのだ。
マーゴがその炎に向ける目が刺激的であった。悲しいとか、助かって良かったとか、怯える目などではなく、言葉にすら出さずとも「クソッタレ」という侮蔑の目だったからだ。たかだか料理のために命を投げ出す馬鹿者どもへの軽蔑すら感じる。
やはり庶民のマーゴには、料理人たちの狂気もタイラーのクズ男っぷりも客たちの高尚ぶった雰囲気も一切理解できなかったのだろう。
彼女は終始、今夜のディナーには"異質"であり、そしてもっとも"まとも"であった。

ちなみに、男たちが脱走を図っている間に女性たちが食べる特別メニュー「男の過ち」で、アクセントに"梅干し"が出て来たのが、日本人としては何だか良かった。

(107分)