上空に母艦があるという状況が"日常"になっていた世界で平凡な日々を繰り返していた人々であったが、その"終わり"は突如としてやってくる。
母艦のエネルギーが暴発し、母艦は制御不能となって大爆発を起こしてしまう危険性が高まっていたのだ。東京の上空に原発相当の巨大な建造物が鎮座しており、今にも墜落しそうになっているという超緊急事態である。
それ以前に、侵略者より更に高次元の存在によって、触れたものを爆発させる発光するシャボン玉のような物質も世界中に降り注いでいた。
世界中の人類はこの物質によって絶滅の危機に瀕していた。
大葉くんは母艦の爆発から人類を守るため単身で母艦に飛び込んで活躍するのだが、過激派の侵略者駆逐信者と化した小比類巻がそれを阻止しようとする。
小比類巻の追手を振り切った大葉くんだったが、残念ながら既に母艦の暴発は手遅れであった。母艦は制御不能となり、大爆発を起こしてしまう。
不幸中の幸いは、母艦の爆発の影響で死の光の効力が奪われ、世界滅亡は免れたということ。
東京という一都市を犠牲にして、世界は救われたのだ。
巨大な閃光によって人々は"日常"を続けたまま消し飛び、キノコ雲が登り、東京壊滅という歴史的な悲劇がもたらされた。
おんたんの兄ひろしや、渡良瀬ら東京にいたすべての人々が閃光に包まれて消滅していく。
おんたんも門出もたまたま東京郊外に出ており、彼女たちは遠くに登るキノコ雲から"その日"が訪れたことを知るのだ。
しかしその危機は、母艦が上空に現れたあの日から分かっていたことだったのではないだろうか。
政府がいくら嘘の情報で国民に混乱をもたらさないように発信しても、若者たちはそれぞれの立場で異変に気付いている。侵略者を駆逐する立場の者、殺戮される侵略者を守ろうとする者。それぞれが異変を異変として捉えていた。その現象はあらゆるところに現れていた。
実際、侵略者の登場によって世界が歪んでいたように見えるが、実はもともと世界は歪んでいた。それが本作の若者たちの閉塞感に繋がっている。
破壊や暴力によって閉塞感を打破し新世界を作り出そうとする者、あくまでも平和的解決を望む理想主義者。
それは現代にも通じる若者たちの不満や主張なのだ。
閉塞感に包まれていた長い長い時間が再び動き出し、東京という街はリセットされた。
おんたんと門出はその爆煙を見ても涙一つ流さないのが印象的であった。むしろそこに一抹の清々しさすら感じているかのようである。
二人もまた、この社会に複雑な重たさを感じていたに違いない。特に門出の周囲は複雑である。A線を気にし過ぎている神経過敏な母親、その母親に近付く距離感の近い再婚相手、行方不明となった父、好意を寄せていると知っているのに一線を越えようとも拒絶しようともせずにはぐらかす教師。
おんたんも門出のそんな複雑な生き方を見て、そして社会に蔓延る若者たちの不安定な要素を見て、どこかで陰鬱な気持ちを抱えていた。友達との間の時間だけは美しく輝いている。しかし外に目をやれば、つまらない世界なのだ。
飲み会の席で侵略者排除派と擁護派が口論となった時、酔っ払ったおんたんは面倒くさいと一喝していた。彼女は何派であるとかいうくだらないカテゴリーに捉われる人々に辟易していたに違いない。
その全てが一切合切リセットされたのだ。たった一瞬の出来事で、頭を悩ます有象無象は消え去ってしまった。
おんたんは大葉くんが侵略者であったとしても、好きになってしまうような女の子である。たとえ人間であっても、侵略者であっても、おんたんは自分が守りたいものを守るのだ。
なぜなら彼女は、前の世界からこちらの世界へとやり直した時、兄ひろしから「自分の道を生きろ」と教え込まれていたから。
たとえ東京が壊滅しても、門出が生きている。
そして、大葉くんもまた数日後に傷つきながらも戻って来た。
それだけで十分。それだけで幸せなのだ。キホの時のように、もう誰も失いたくないと強く願っていたから。
たとえセカイを失っても、彼女には二人が生きていることがすべてであり、願っていたことであった。
そしてしばらく彼女たちの夏休みは長引くこととなるのだ。
あのちゃんと幾田りらの声優っぷりが素晴らしいのは前章でも見ていたので言わずもがなだが、後章では特におんたんと大葉くんの恋模様も進展があり、おんたんが女の子として普通に恋をしてしまっている。
早口で世間に対する不満や僻み嫉妬を並び立てていた前章のイメージとはまるで変わり、後章では更に可愛さを増している。
「好きーーー!」と叫ぶおんたんが可愛らしい。そんな変化もまたあのちゃんの演技に表れていて素晴らしかった。
また、前章ではメロディだけだったでんぱ組.incの「あした地球が粉々になっても」が、後章ではしっかり歌と一緒に流れる。
それも東京という世界が粉々になる絶妙なシーンで。これもまた印象的な演出であった。
本当は歴史に残る凄惨な一大悲劇であるのに、清々しさすら感じる。
後章が終わって改めて気付くのは、おんたんは世界を救うとか、侵略者を救うとか一切立ち回っていないということだ。
彼女が守りたかったのは親友の門出、それと大葉くん。二人のためなら世界を捨てて、時間を改変するのに、母艦の危機には一切動き出さない。
いわば、彼女は門出を救ってからずっと、彼女との平凡な"日常"を続けたかったわけだ。彼女は決して英雄ではなく、ただの普通のティーンエイジャーなのである。
いや、むしろどちらかといえばセカイを破壊へ導いた張本人ですらある。
たとえ侵略者が地上で駆逐されていようとも、たとえ母艦から中型飛行物体が現れようとも、たとえ母艦のエネルギーが制御不能となろうとも、彼女は"日常"を続けることを第一に考えていた。
侵略者が落とした不思議な器具に興奮したり、いつも学校の屋上で母艦を見上げていたり、一見するとこの"非日常"を直視しようとしているように見えたが、彼女はいつも本当は門出との"日常"を何より重視していたのだ。母艦の報道が垂れ流される"非日常"は彼女にとって、"日常"の一つのエッセンスに過ぎない。
世界がどのような混乱に陥ろうとも、いつも目の前にある"日常"を信じ、我が道を生きるおんたんの強さを感じた。