第1460作目・『エレファント』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

『エレファント』

(2003年・アメリカ)

〈ジャンル〉ドラマ



~オススメ値~

★★★☆☆

コロンバイン高校銃乱射事件をテーマにしたリアルなドラマ。

・普通の高校生たちが即興で交わす日常風景。

・2003年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールと監督賞を同時受賞。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『酔っ払ったアル中の父親に送ってもらいながら高校に着いたジョン。父親を外に待たせて、外にいる兄に父を迎えに来て欲しいことを連絡する。その直後、ジョンは校長からの呼び出しを喰らった。校長室から出て、校内を歩いていたジョンは校舎から出たところで大荷物を抱えたエリックとアレックスとすれ違った。二人から「中へ入るな」と忠告されたジョンは胸騒ぎを覚え、周囲にいた人々に校舎内に近付かないよう呼びかける。時間が遡り、アレックスは校内でいじめを受けていた。校内の人気者、ネイサンもアレックスをいじめている一人であった。校内ではミシェルも周りから孤立していた。いつも一人で行動し、ロッカールームでも他の女子たちから「ダサい」と陰口を叩かれていた。何も聞こえないふりをしながら着替えを終えたミシェルは、急いで図書館の仕事へと向かう。一方、アレックスには良き理解者がいた。学校から帰るといつも同じ時間を過ごしていたのがエリックだった。二人は家族がいない隙に通販で手に入れた銃の配送を受け取り、二人が立てた計画に向けて準備を進める。それは自分たちの学校で生徒や教師たちを次々と撃ち殺そうとする犯罪計画だった。


〜いつもと同じ1日だと思ってた。〜


《監督》ガス・ヴァン・サント

(「ドラッグストア・カウボーイ」「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」「ミルク」)

《脚本》ガス・ヴァン・サント

《出演》ジョン・ロビンソン、アレックス・フロスト、エリック・デューレン、ネイサン・タイソン、イライアス・マッコネル、ティモシー・ボトムズ、ほか





【筋書きのない日常生活】

2003年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールと監督賞を同時受賞するなど、高い評価を得た本作。
1999年にコロラド州で起きたコロンバイン高校銃乱射事件をテーマにしたドラマである。
登場するのは何ら変哲もない、いたって普通の高校生たちだった。世間を震撼させる事件が起きそうな治安の乱れた環境だったわけでもない。他の多くの学校と同様に、普通に友人と雑談する生徒たちがいて、一方でいじめを受けて孤立している生徒たちがいるのだ。
それがやがて、"普通"ではなくなるとも知らずに。

冒頭、校内を歩き続ける生徒たちが長回しで描かれる。映画としては冗長に感じるとも言える。教室から教室へ移動する過程なんて、いくらでもカットできるはずだ。
でも、そこに映し出されている景色、彼らが見ている景色はいたって普通の高校生たちが日常を過ごしている時間なのである。
すれ違う人、廊下で立ち話している人、屋外で休んでいる人、すべての人たちが何気ない日常を過ごしている。
つまりここで描きたいのは、誰が何をしていたという登場人物の"行動"ではない。ここで映したいのは歩いているメイン人物ではなくて、その周りに映り込んでいるピントも合っていない人々なのだと感じる。
カメラに映っているすべての光景を描きたいのだ。

それから事件発生までの間、時折、現在時刻が分かる会話や時計が映り込んでいた。
実際の事件や災害を描いた作品でよくある演出だが、運命の時が刻一刻と迫っているのを感じさせるのも緊張感を少しずつ高めていく。
事件発生は午前11時過ぎ。ドラマはその時間に近付いては、また違う高校生の視点に移って遡り、再び同時刻に近付いていく。何かが起こりそうな予感が繰り返されていく。

複数の視点が混ざり合うことで校内の当時の登場人物たちの現在位置も何となく見えてくる。学校という立体的な空間を感じさせる。
さっきすれ違って挨拶を交わした相手が、今度はメインになって彼の動きを追っていくのだ。何気なくすれ違った誰かが、実は複雑な感情を抱えている背景があるというのが見えてくるのも上手い構成である。

そして驚くべきことに、大人の役者3人以外のすべての生徒たちが、実際の普通の高校生から選ばれた素人で、その何気ない日常を飾るセリフのほとんどが演じる俳優たちの即興によるものだというのだ。
役名も彼らの本名から持ってきている。
最低限の本筋に関わるキーワードと動き方だけ簡単に用意され、あとはアドリブ劇擬似的に彼らの学校生活を新たに作り出しているのだ。
確かに彼らの会話劇は物語のメッセージや伏線などにはまったく関係なくてダラダラと続いていくのが特徴的だった。誰と誰が付き合ってるとか、ドレッシングは油分が多いから食べないことにしたとか…。
別に伏線だとか前後の物語の展開とかはまったく意識されておらず、その場限りの取るに足らない雑談が展開されていく
だからこそ、事件が起こるまでは日常的に続いていく学校生活の一幕だったというリアリティを感じさせるのだ。

そんな中、犯人2人の背景だけは学校外まで描かれているのだが、それもまた細かい心情表現があるわけではない。
分かったのは、学校でいじめられていたのだということ、そしていじめに対して耐え難い怒りを感じていたということ。
2人は親密な仲であり、通信販売で銃を手に入れ、試し撃ちできる程度に保護者の監視はあまり働いていないということ。入念に下調べをして作戦を立てていること。
情報として得られたのは、それぐらいだろうか。彼らは私たちに見えている範囲の情報だけで凶行に及んでいく。動機も問題の背景も詳細には語られない。

それは、実際の当事者たちが現場で自殺している現状から見ても、他者が彼らの凶行の背景を「考える」しかないからなのだろう。
見えている情報から考え、考えられる問題を浮き彫りにさせること。導き出した答えは正解かもしれないし、不正解かもしれない。
亡くなった当事者がすべての真実を握っており、本当の動機はまったくの的外れの可能性もある。
だが、不条理な事件に巻き込まれた場合、被害者やその家族、そして世間は限られた情報から自分たちの"答え"を出す他ない
それがこの映画が提示した唯一のメッセージなのだ。



【閉ざされた数々の声】

いじめを受け、犯行に及んだアレックスはクライマックスで学校の人気者であるネイサンを見つけ出していた。
まるでネイサンが最も狩りたかった獲物であるかのように、怯える恋人と一緒に命乞いをするネイサンに銃口を向け、「どちらにしようかな…」と弄び始めるのだ。
これまで視界に捉えた人々を次々と撃っていたアレックスとは思えない残忍さである。ネイサンを追い詰めたことに喜びを感じているのだ。
それは、学校の人気者であるネイサン自身が、いじめの主犯格の一人であったことを示唆している。以前、クラスでアレックスにバナナを投げつけた時も仲間内で楽しんでいたのだから。

アレックスの共犯になったエリックは校長を撃ち殺す前に「いじめの相談を受けたらしっかり話を聞け」と説教していた。
この学校では、いじめの存在が認知されていても、教師たちはほとんど手をこまねいていたのだろう。
そればかりか、いじめ加害者であろうネイサン自身が、学校ではスクールカーストの上位に位置し、チヤホヤされている。アレックスやエリックが、ネイサンや活動的な目立つ生徒に対して激しい恨みや嫉妬を覚えるのも無理はなかった。
そして、その環境が改善されないままに放置されていたことに怒りを覚え、やがて個人的な復讐心は過剰な破壊衝動と自殺願望へと代わり、2人は凶行に及んだのだ。

本作では運命の時が来るまで淡々と生徒たちの何気ない日常や風景が描かれている。ほとんどがそのシーンである。
穏やかに過ごす生徒もいるし、孤独感を抱えている生徒もいる。しかし、どんな生活であれ、その日常が暴力という不条理によって一瞬で崩れていったのだ。
この学校で悩みを抱えていたのは犯人2人だけではなかった。アル中の父親に頭を悩ませている少年や、孤立して周囲から罵られている少女もいた。
決して楽しいだけが学校生活ではないだろう。学校生活は嫌だ嫌だと憎みながら送る人もいる。
にも関わらず、どんな日常を送っていた生徒であっても、彼らの暴力に巻き込まれていくのだ。

校内でも孤立していた少女は図書室で仕事をしていたところ、侵入してきた二人に一瞬で殺されてしまった。
これが何より胸を締め付けた。まさに不条理。
おそらく犯人2人が暴力によって破壊したかったメインターゲットは、ネイサンらのように学校を謳歌している周りすべての人々だ。いわゆる、スクールカーストの上位に立つ生徒たち、自分たちから目を逸らして学校を楽しんでいる生徒たち、そして問題に対処しない教師たちと、彼らすべての日常だ。
しかし、犠牲者の中にはきっと彼らの言葉に共感できた生徒もいたのだ。それで事態が解決するとは限らないが、語り合えば、少しは慰められるケースもあったことだろう。理性を失った凶行には及ばなかったかもしれない。
だが、2人にはそれができなかった。周りを頼りにすることも、声を上げることもできず、2人だけで追い込まれていったのである。
犯人に同情する余地はまったくない。どんな状況であれ、やはり暴力は認められない。しかし、犯人と共に孤独感や悩みを抱えている人たちは他にもいて、凶行に及ぶまでそこが繋がることができなかったことには悔しさを覚える

学校へ襲撃に向かう途中の車内で、犯人たちの呼吸音が聞こえてきていた。
彼らも息が深くなっている。明らかに興奮しているのが伝わってくるのだ。
アレックスもエリックも戦場で銃の扱いに慣れた手練れの傭兵などではなく、ただの高校生なのだ。ただの経験値も少ない10代の少年なのだ。
問題を解決する手段が破壊以外に他に思いつかないままに追い詰められていた、未熟な少年なのである。
それがまた妙な戦慄を覚えさせる。

コロンバイン高校銃乱射事件の加害者の一人の家族は、その後、手記などを出版するなどして「犯罪者となった息子の母親」として活動している。
自分の家族が凶悪事件を起こすという兆候はなかなか見つけられるものではなかったこと。学校でいじめを受けている、いじめているといった情報は簡単に目に見えるものではないことなどの現在の思いを伝えている。だからこそ、親子のコミュニケーションを大切に持つことが求められるのだろう。
彼女が加害者家族として自らの言葉にするに至るまで、どれほどの後悔と絶望と申し訳なさを乗り越えてきたのだろうか。もっと話していれば良かった、もっと何か感じ取ってあげれば良かった。拾い上げていれば、救うことができたのではないだろうか
そんな後悔を募らせて、今の活動に至るのだと思う。

本作では、同様の悲劇を繰り返さないために、まさにそういった明確に表に出すことができなかった犯人たちの声なき声を、未来に紡ぐ私たちに「考える」ことを求められていると感じた。


(81分)