ロビン・ウィリアムズが大好きだし、本作が名作中の名作ということも知っていたが、なぜか今まで見逃していた。遅ればせながらようやく初鑑賞。
まず冒頭のアフレコシーンからロビン・ウィリアムズの芸達者ぶりが発揮されて圧倒される。
声優を務める主人公ダニエルが、一人で2匹のキャラクターに声を当てており、声色を使い分けているのだ。アニメ「彼岸島X」で1人50役を担った生きる伝説・山寺宏一に勝るとも劣らない芸達者ぶり。
これがのちに本当に声を使い分けて生活するダニエルの物語の始まりなのである。
離婚によって子供と一緒に暮らす時間を奪われたダニエル。週に一度の面会では足りない。子供に対する愛情が深いダニエルはなんとかして子供たちと接する時間を増やそうとするのだ。
そこでダニエルは非常識かつ大胆なアイデアを思いつく。元妻ミランダが募集していた家政婦として雇われる計画を立てるのだ。
特殊メイクを得意とする兄の手を借りて、完全に60代の老婦人に変装したダニエルは、持ち前の声色を変える演技力で家政婦ミセス・ダウトファイアとして採用され、子供たちの子守りと家事を担うのだった。
ロビン・ウィリアムズがとにかくすごくて、ミセス・ダウトファイアとダニエルの声色を完全に使い分けている。
声色だけでなく、ミセス・ダウトファイアになっている時の喋り方や動き方もしっかり女形として演じているのだ。
こんな大胆な計画が実現できたのは、確かに家族ですら見分けがつかない特殊メイクの効果もあるのだろうが、それ以上にやはりダニエル自身の演技力、つまりロビン・ウィリアムズの卓越した表現力の賜物である。
あと文句なしにストーリーが面白い。
特に家庭訪問員が来た時のミセス・ダウトファイアとダニエルの人格を使い分けるドタバタ交代劇と、夢を掴むための社長との懇談会と一家の食事会が同じレストランでダブルブッキングしてしまった時の奮闘劇は、なんか似たようなトラブルを繰り返してはいるものの、やはり笑える。
トイレに駆け込んでは女装して一家の席に戻り、またトイレに駆け込んでは化粧を取って社長との席に戻る。アルコールを飲みながらバタバタと変装を繰り返していくうちに、ついには女装をしながら社長との席に戻ってしまうところまで、吉本新喜劇でも見ているかのような定番オチであるからこそ面白くて笑える。
コメディアンとしてのロビン・ウィリアムズの真骨頂が楽しめる。
ダニエルは家政婦として稼働している時、完全にミセス・ダウトファイアになりきっていて、これまでは子供たちと一緒にいても遊んでばかりだったダニエルが、子供たちが楽しんでいたテレビを消して宿題に向かうよう注意したり、時には厳しく接したりと家政婦としての嫌われ役も果たすのだ。
だから子供たちも一切気づかない。ダニエルとはまるで人格が正反対であり、そこにいつも自分たちと一緒に遊んでくれる父親の面影など微塵も感じさせないのだ。
ところがある日、ミセス・ダウトファイアは立って小便をしている所を長男に目撃され、長男と長女には正体がバレてしまう。
一瞬で男の声色を取り戻し、その声を聞いてミセス・ダウトファイアが愛する父だと気づいた時の子供達の反応が印象的だった。
困惑から、父親が家に帰ってきているという喜びへ。子供たちにとってダニエルは変わらず愛する父なのである。
結局、これまでのダニエルは子守ではなく、子供たちと同じ立場で遊んでいただけだった。
離婚の直接的なきっかけとなった長男の誕生日もそうである。仕事で出世して忙しくなったミランダが留守にしている間に、移動式小動物園を自宅に招き、近隣の子どもたちを集めて長男の誕生日パーティを開くダニエル。
騒音騒ぎで警察が駆け付けているほどなのに気にせずダニエルは子供たちと一緒に踊っていたのだ。
その後片付けや、近隣住民への謝罪など社会常識的な処理はいつもミランダが尻拭いをさせられてきたのだ。
もちろん子供たちへの愛情はたっぷりなのだが、仕事も安定せず、家庭のこともせず、日々やりたい事を後先考えずにやっていただけ。
優しい父であっても、保護者たる父親としての機能を果たせていなかった。
ところが、ミセス・ダウトファイアとして家に入ってからは、掃除に食事の準備に、そして子供達に宿題を教えたりと、家庭の一員としての役割を果たし始めるのだ。
おそらく、無職であってもせめてこうして家のことに役割を果たしていればミランダも離婚を決意することはなかったのかもしれない。
しかし、今はもう「たられば」の話でしかない。
離婚裁判で言い渡されたのは、暫定的な養育権はミランダに属するものの3ヶ月後の再審の時にダニエルがどのような生活をしているかで共同養育も判断するというものだった。
安定した仕事、子供たちが安心して暮らせる住環境、家事育児の力。
家政婦としての力をつける事で、自分の自宅の家事もできるようになっていくダニエル。それは養育権見直しの一つの基準でもあり、偶然の産物ではあるがまさに一石二鳥だったのだ。
そして何より、ミセス・ダウトファイアが家事を担っている間、一家は幸せだった。
稼ぎ頭のミランダが疲れて帰って来た時に、家の中のことが片付いている。子供達も勉強に向かっている。ダニエルに苛立ち、しばらく笑うことも忘れていたミランダに訪れた心の平穏であった。
家の中のことと仕事のことは繋がっている。
どちらかが傾けば、もう片方も傾きやすい。両立できて初めて精神的にも安定できるのだ。
ミランダはミセス・ダウトファイアがダニエルだとは気付かないまま、彼女に元夫に対する本音を打ち明ける。それはこれまで張り詰めていた彼女の思いが、家の中の安定によって気持ちが緩んだということなのかもしれない。
ミセス・ダウトファイアが果たした役割は家事と子守だけでなく、一度崩れた家庭の再生だったと言えるだろう。
ところが、レストランでダブルブッキングした夜、ミセス・ダウトファイアの正体がミランダにもバレてしまう。元夫が女装までして、約束を破って家の中に毎日上がり込んでいたのだ。動機や背景はどうであれ、それは許されない行為であった。
結局、3ヶ月後の再審ではより縛りのある判決が下されてしまうのだが、やがてミランダはこの家にミセス・ダウトファイアが必要だということ、そしてそれはつまり、子供たちにとって父親が必要だということを心から感じることとなった。
最後のメッセージが心に響いた。
レストランでの会食で夢を掴み、テレビ局の社長に認められたダニエルはミセス・ダウトファイアというキャラクターで教育番組を任されるようになる。
番組に投稿された視聴者からの悩み相談に答えるダニエル。それは両親が離婚した子供からの質問だった。
ダニエルは様々な家族の形があること、それでも子供たちが愛されているということは変わらないのだということを強く訴えるのだ。
「愛がある限り、あなたたちは繋がっている。家族って、心と心で結び付いているのよ。」
それはきっと、自分の子供たちのことを想って伝えていたメッセージだったのだろう。
ダニエル自身、今はまだミランダとの再婚は考えていない。ミランダに子供たちがダニエルを必要としているということは理解してもらえても、二人とも離れていた方が自分を好きでいられると思っているのだ。
それでも子供たちを思う愛情や、家族の繋がりは消えたわけではない。正確には一度は見失っていたが、今ではそれぞれ果たすべき役割があって心から存在を認め合っている。
ダニエルには子供たちが必要で、子供たちには両親の存在が必要。家族とは離れ離れになっても結び付いているものなのだ。
ドタバタ喜劇の果てに、こんな素敵なメッセージが最後に投げかけられていることが、本作が名作たる所以だと感じた。
最後に、ミランダに近付いて家族を横取りしようとしているビジネスマン、スチュワートがとてもいけすかなかった。演じたのは、5代目ジェームズ・ボンドでお馴染みのピアース・ブロスナンだから、ダニエルとは真逆で、圧倒的にイケメンで紳士的で大人の男の色気が出ている。
ミセス・ダウトファイアになったダニエルが劣等感を感じて高級車のエンブレムを取り外したり、背後から果物を投げ飛ばしたりするのも無理もない。ちゃんといけすかないのだ。
最後にダニエルの正体がバレたのも、彼がスチュワートに嫉妬して、スチュワートのアレルギー食材を料理に混ぜたことで、スチュワートが喉を詰まらせてしまったから。
焦ったダニエルはスチュワートの人命救助に必死になり、扮装が取れてしまったのだ。
ダニエルの奇行は再審時に問題となったものの、結果的にミランダが父親の存在を見直すことに繋がっていく。
ミランダに近付くスチュワートがダニエルと家族の仲を裂こうとしているように見えて、最終的に意図せず絆を繋げる役割を果たしたという展開も素敵だった。
ダニエルは格好悪い。しかし、無理してライバルを蹴落とさずとも、家族の絆は深いのだ。