第1311作目・『ホテル・ムンバイ』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

テーマ:
『ホテル・ムンバイ』

(2019年・オーストラリア/インド/アメリカ)

〈ジャンル〉サスペンス/ドラマ



~オススメ値~

★★★★☆

・ムンバイ同時多発テロで狙われたタージマハル・ホテルのサスペンス。

・残酷なテロ行為がリアルで恐怖。

・人を救う宗教、人を殺める空虚な指導者。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『インドのタージマハル・ホテル。そこに務める従業員のアルジュンはその日、靴を持参し忘れたため、VIPの対応役を外されてしまった。そんな中、駅を始めとする人が密集して集まる場所を拠点にムンバイ各地でテロが発生する。観光客の外国人カップルはカフェでテロに遭遇し、必死の思いで現場から逃げ出した。避難者たちが咄嗟に駆け込んだのはタージマハル・ホテルだった。ホテル側も避難者たちを匿うのだが、実際はテロリストたちの次の標的はタージマハル・ホテルだった。従業員が次々狙撃され、テロリストたちは客室に潜む宿泊客らも殺害しに回り始めた。ウェイターをしていたアルジュンは客たちを首尾良く物陰に隠すが、その中にいたアメリカ人の夫デヴィッドとイラン系の妻ザーラは自室にいる赤ん坊と子守のサリーのことが心配で連絡を取ろうとしていた。』


〜彼らは〈信念〉だけで、銃に立ち向かった。〜


《監督》アンソニー・マラス

《脚本》ジョン・コリー、アンソニー・マラス

《出演》デヴ・パテル、アーミー・ハマー、ナザニン・ボニアディ、アヌパム・カー、ジェイソン・アイザックス、ほか





【容赦のないテロの脅威】

2008年、インドのムンバイで観光客等が多く集まるホテルや駅を中心とした複数の場所で同時多発テロが発生。死者170人以上、負傷者230人以上の犠牲者が発生した。
本作はそのターゲットの一つとなったタージマハル・ホテルを舞台に、テロリストの脅威と宿泊客を守るために奮闘した勇敢なスタッフたちを描いたサスペンスドラマである。

とにかく怖かった。
海外のホテルに泊まったら、これからは非常口と避難経路の確認、ホテルの図面確認は怠らないようにしようと本気で思った。
いざテロが起きた時、救援が来るまで命を繋がなければならないのは自分たちの責務だ。

結構、ショッキングで残酷な展開である。
R15指定もされている通り、何の躊躇いもなくテロリストたちは尊い命を奪っていく。排外主義に洗脳された彼らには、被害者たちのことは人間ではないと思えと刷り込まれているからだ。すべては神の思し召しなのだ、と。

だからこそ、リアルでもある。本当にテロ描写が容赦なくて残酷
全速力で逃げ出しても上手く銃弾を交わすことなどできずにすぐ撃たれるし、物影に隠れる人はすぐに見つかって殺される。部屋に閉じこもっていて事件の発生すら分からなかった人も呼び鈴で呼ばれて撃たれるし、極め付けはホテルのフロント係を脅迫して「救助が来ましたよ」と偽の電話をかけさせ、客が安心して外に出て来たところを撃ち殺すという残虐な手法まで描かれる。

↑これは胸糞悪い襲撃方法だった。善良な窓口スタッフは脅迫され、客室に嘘の電話をかける。客が安心して廊下に出てきたところをテロリストの仲間が撃ち殺すという残忍な方法だ。彼女たちもそれ以上続ける事ができずに犠牲者となった……


これが真のテロの脅威なのだ。
彼らの銃撃には躊躇いもなく、ましてやすぐに救援隊が駆けつけたり、テロリストたちに立ち向かう隙もない。
残酷だけど現実的で非情。狙われたら死が訪れるまでとにかく生き延びるしかない、というのが真実のテロの姿なのだろう。
その緊迫した臨場感が伝わってきた。圧倒的なリアリティである。

アーミー・ハマーが演じたアメリカ人の父デヴィッドは実在の人物ではなく、複数のモデルを合わせたキャラクターだそうだ。
しかし、実際にデヴィッドのように家族を守るために奔走した男性もいたことだろう。
デヴィッドとイラン系の妻ザーラはテロ発生時、一階のレストランで食事をしていた。
まだ赤ん坊の子供は上階の自室でベビーシッターのサリーに面倒を見てもらっている。

ホテル従業員のアルジュンはその日、たまたま靴を持参し忘れたことによりVIP接遇の任務を外され、レストランでウェイターをしていた。
テロ発生直後にアルジュンはレストランの照明を落とし、客たちに物影に潜むよう指示する。
だが、部屋の赤ん坊のことが気になるデヴィッドはアルジュンを説得し、単身で上階まで向かう。テロリストたちがエントランスホールを監視し、目に付く人々を銃撃している最中である。非常に危険な状態であったが、我が子を守るため父親は決死の思いで安全基地から飛び出すのだ。
途中、エレベーターでテロリストたちとニアミスになるシーンは非常に緊迫感を盛り上げてくれた。

デヴィッドは何とか部屋までたどり着き、赤ん坊とサリーの無事を確認した。部屋の中には命辛々駆け込んで狙撃された老婆の死体が倒れている。
一方、オベロイ料理長の支持を受けてアルジュンはザーラたちレストランに隠れていた客を堅牢堅固な上階のラウンジに避難させた。
ザーラから連絡を受けたデヴィッドはサリーと赤ん坊と共にラウンジに向かうのだが、途中でテロリストと遭遇してしまう
咄嗟にサリーと赤ん坊を物置部屋に匿うデヴィッドだったが、自身は彼らに見つかってしまった。富裕層の外国人の人質を欲していたテロリストたちによって、デヴィッドは拉致されてしまう

↑離れた場所で危険に晒される我が子を自らの手で守りたいと思うのは、父親なら当然の覚悟だろう。

その頃、ラウンジの存在もテロリストたちに見つかってしまっていた。頑強な扉のおかげでまだ突破されていないものの、時間の問題であった。
救援隊もムンバイには常駐しておらず、耐えきれずに駆け込んだ地元警官隊も襲撃されて思うように身動きが取れない。
なかなかラウンジに姿を表さない夫を心配したザーラや、屈強な男ワシリーら一部の避難者はテロリストたちが一時的に離れた隙を見てラウンジを抜け出す。
だが、やはりテロリストたちに見つかったザーラとワシリーも人質となってしまい、監禁部屋でザーラはデヴィッドと再会する

ラウンジ襲撃が行われようとしていたその時、危険を感じたオベロイ料理長とアルジュンら従業員は、避難する客たちを裏階段を通って脱出させた。いよいよ最後の脱出劇である
テロリストたちは扉を撃ち破って雪崩れ込み、逃げる客たちを無差別に撃ち続ける

一方、人質部屋に監禁されていたデヴィッドは一瞬の隙を見て監視役の若者に襲い掛かろうとするのだが、反撃されてデヴィッドは撃ち殺されてしまう
同じくワシリーも反撃するも、あえなく銃弾に倒れた。テロリスト側はテレビ中継で突入部隊が到着したことを知り、集められていた人質たちをすぐに射殺するよう若者に命じられていた。
最後にザーラに銃口が向けられるのだが、ザーラが死に際にイスラム教の文言を唱えると若者は躊躇う。そして、本部の指示を無視してザーラの命を見逃すのだった。

テロリストたちのほとんどは突入部隊によってその場で射殺された。
ザーラも火のつけられたホテルから決死の思いで脱出し、無事に脱出に成功していたサリーと赤ん坊に再会
アルジュンも客の安全を守りながら最後まで使命を果たし、無事に幼い子供や妻の待つ自宅へと帰還するのだった。



【不条理な殺戮と扇動された実行犯たち】

愛する人の命を救うため、家族を守るために奔走する人たち、家に幼い子供がいる人たちも容赦なくテロの犠牲者となってしまう
こういう映画って何とか危機を乗り越えて無事でいてくれることが多いのだが、現実のテロというのはそう上手くは事が運ばない。
赤ん坊を守るため必死の思いで部屋から救い出し、脱出へと導いてくれたアメリカ人のデヴィッドは、人質となった部屋でテロリストに殺されてしまう
勇敢な良き父親が、なぜ殺されなければならなかったのか
相手は足に大怪我をしていた。普通の映画なら一瞬の隙をついて銃を奪い、形勢を逆転させることもできたのかもしれない。
だが、実際は現実のテロの脅威を前に無防備な人間は無力なのかもしれない

↑せっかく赤ん坊を助け出したのにデヴィッドは妻の目の前で射殺されてしまった。正義が勝つとは限らない不条理さがテロの本質だ。

恋人とカフェでテロに遭遇し、ホテルへ駆け込んだものの再びテロリストの標的となった女性も、
懸命にレストランで不安を抱えるザーラを勇気づける声掛けをしていたワシリーも、
ラウンジで強い不安を感じ、アルジュンに説得されて勇気づけられた貴婦人も、
勤続35年のホテルを守りたいと一緒になって勇敢に闘った従業員も、
理不尽で不条理なテロリストの武力によって呆気なく命が奪われてしまった

そして、それがテロの本質なのだろう
奪われるはずのなかった命が、突然、不条理な形で奪われる悲劇。さっきまで隣で笑っていた人が突然息をしなくなる殺戮。
生き残った人と死んでいった人の命運を分けるものは何もないのだ。このテロで、日本人も1名殺されている。たまたま会社の出張でインドを訪れ、たまたまロビーで手続きをしている間にテロに遭遇して被害に遭ったそうだ。
そこに明確な理由などなく、ただただ理不尽な殺戮であること。それがテロの本質なのだろう。

信仰や思想などの背景があり、神の意思を示して彼らはこの残虐な行為を「ジハード」と称するのだが、価値観が違うというだけで普通に生きて生活する人々の未来を奪うことの何が神への奮闘(聖戦)か
宗教そのものは人を救うのに、どうして身勝手な人間が信仰を歪めると人を殺めてしまうのだろう。
排外主義の彼らが取り憑かれた思想など、彼らが何らかの理由で思考停止してしまえばすぐに消えて無くなってしまうような、実態のない空虚なものだというのに。

実際、従業員のアルジュンもシーク教の敬虔な信仰者である。
テロの発生によってラウンジにこもる中、ある一人の貴婦人がアルジュンの髭とターバンを恐れるようになった。テロリストたちとアルジュンの宗教的な出立ちを重ね合わせてしまったのだ。
アルジュンは理不尽な不満に怒るわけでもなく、婦人に近づき、シーク教におけるターバンが高潔さと勇気の証であることを伝える。そして、幼い頃からターバンと共に生きていた誇りを伝えるのだ。
婦人はアルジュンに心を許し、それ以降、不安を口にすることは無くなった。

ところが、そんなターバンをその後アルジュンは負傷して身動きが取れなくなった女性客の傷口の手当てのために使ってしまうのである。
アルジュンは熱心な信仰者だ。しかし、信仰心よりも人命を優先する。アルジュンはテロリストとは真反対の立場であり、それこそ人を救う宗教のあるべき姿であるはずなのだ。

↑アルジュンは熱心な信仰者でありながら客を守るため奔走し続けた。「宗教で人を救う者」と「宗教で人を殺める者」の対立が、テロリストの背景に宗教があることがいかに空虚な理由であるかを浮き彫りにさせる

そして、この無差別テロに若者たちが動員されていることも実に切ない。
ある一人のテロリストはテロ実行中に家族と電話をする。家族たちは息子が何らかの厳しい「修行」に参加していると思っていて、今テレビで世界を戦慄させているなどとは微塵も思っていないらしい。
実行犯にされたのはそうした家族の期待を背負って神のために働く若者たちで、彼らは貧しい家族に金を振り込んでもらうという対価まで首謀者からチラつかされているのだ。
一方の首謀者は安全な場所でテレビ中継を見ながら指示を出しており、若者たちに命尽きるまで戦えと煽るばかりである。
実は本作で唯一不満が残ったのが、このテロの実行組織の実態が未だ判明されていないことだ。
それだけが腑に落ちない。もしもまだどこかで首謀者がのうのうと暮らしているのだとしたら、これほど遣りきれない思いはない。

若者たちはどうやら多くが経済的に恵まれない家庭に育っていたらしく、ホテルの絢爛な内装に圧倒されるばかりか、中にはピザを食べた事がなかったり、水洗トイレを初めて目にした者もいた
彼らはただ純粋に神や首謀者の教えに導かれていただけなのだ。だからこそ無機質に人を殺めていた
最後にザーラを殺す際、彼女がイスラム教徒であることを知って初めて殺害を躊躇う。彼らにとって同志であるか、それ以外かの二択でしかなく、それだけで世界を敵に回すことができると妄信している

本作が描いたように、無差別テロにおける「ジハード」の実態は姑息な首謀者による中身のない殺戮であることは明らかである。
もう二度と、空虚な指導者に騙される未熟な若者が銃を手にしないことを願うものだ。


(123分)