第1225作目・『映画 鈴木先生』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

テーマ:
『映画  鈴木先生』

(2013年・日本)

〈ジャンル〉ドラマ/学園



~オススメ値~

★★★★☆

・連ドラの延長線上にあるため連ドラ版は必見。

・社会に横たわる本質的な問題に切り込む。

・二つの事件から「逃げ場」を求める声が聞こえる。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『国語教師の鈴木先生は担任する生徒たちに時に考えさせ、時に議論させる鈴木式教育メソッドを展開する一つの実験教室を作り上げていた。妻・麻美が妊娠中の中、かつてその魅力から解放されたはずの女子生徒・小川蘇美に対して再び妄想を抱いてしまった鈴木。一方、学校では休養していた天敵、足子先生が2学期になって復帰していた。休養の原因となった鈴木先生のことは記憶にないようだ。公私共に苦悩が絶えない中、生徒たちは文化祭に向けて演劇の練習をしていた。近くの公園で時間外の練習を積む生徒たち。そんな彼らをベンチに座って眺めるのは卒業生の勝野と田辺だった。二人は卒業後しばらくして社会に適応できない生活を送っていた。』


〜常識を打ち破れ、世界は変わる〜


《監督》河合勇人

(「俺物語!!」「ニセコイ」「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」)

《脚本》古沢良太

(「ミックス。」「探偵はBARにいる3」「コンフィデンスマンJP」)

《出演》長谷川博己、臼田あさ美、土屋太鳳、北村匠海、浜野謙太、風間俊介、田畑智子、でんでん、富田靖子、ほか



【連ドラの延長線上にある劇場版】

原作は武富健治の漫画である。
今までにない斬新な教師の目線を描いた教育ドラマとして、その独自の魅力を展開していた連ドラ版『鈴木先生』。
視聴率こそ芳しくなかったものの、放送終了後も高い評価を受け、ついに続編として劇場版が製作された。

というわけで、本作は連ドラの延長線上という色合いが強い。単体で見ても登場人物たちの人間関係になんの説明もないため、かつて鈴木先生が小川蘇美に危うい憧れを抱いていたことも、妻・麻美がエスパー的な特殊能力者であることも、足子先生が鈴木式教育メソッドに追い込まれて発狂したことも理解できないだろう。
実際にオープニングでも「Lesson11」と表示される
つまり、本作は連ドラから続く11話目の物語なのだ。

ちなみに、本作の脚本家は今をときめく古沢良太
本作の後、『リーガル・ハイ』シリーズや『コンフィデンスマンJP』を手掛けるなどして続々と人気作を生み出した。
原作の漫画は未読であるため、原作の台詞やストーリーが繰り広げられているのかは分からないのだが、社会に訴えるメッセージ性の強さは古沢良太の脚本らしくて胸に響く

とりわけ、今回の劇場版で描かれる社会的弱者となった「優等生」たちの社会に対する悲痛な叫びがあまりにも痛々しく、言葉に詰まった。

本作では大きく分けて二つの事件が発生する。
一つは次期生徒会選挙だ。次期生徒会を決める大事な選挙。休養から復帰した足子先生は、早々に厳粛な選挙を促進するため「全員参加で実現する、公正な選挙」といったポスターを掲示したいと訴えた。
有効投票を上げるための促進運動であると説明する足子先生の言い分はもっともだ。しかし、鈴木先生には不思議とそのポスターに違和感を感じていた。
とは言え、その違和感の正体を言葉にすることもできないため、とりあえず促進運動に賛同する。

そんな中、次期生徒会長として出水が立候補した。普段、人前に出て先導するタイプの人間ではない。むしろ以前、自分の正義感を押し付けるために他人に嫌がらせをしていた生徒である。
鈴木先生を始め、多くの先生たちが出水の立候補に疑問を感じていた。その証拠に、出水は選挙活動も選挙ポスターも明らかにやる気がないのだ。

彼らは立会演説会で何かを引き起こすに違いない。
教師陣が身構える中、出水たちは自分たちが選挙に参加した理由を主張する。
彼らの公約は、生徒会選挙そのものを改正することだった。
過去の経験で、真面目な投票と不真面目な投票が同じ1票としてカウントされるこの一見平等に見える欠陥的なシステムに異論があったこと、だからこそ「投票を拒否する権利」をただ認めて欲しいだけなのに、全員参加を強要する学校側の体制に反旗を翻したこと。
出水と同じ信念を持つ同志たちが集まって、学校に反対の声を上げたのだ。

確かに、これは生徒会選挙に関わらず日本の選挙制度そのものに疑問を投げかける訴えだ。
たいして選挙に志もなく、政策も演説も聞かずに、ただ有名人だから、ただ周りがここに入れろと言うからという主体性のない一票も、真剣に未来を考えて投票する一票と同じ価値が生じてしまう
出水ら同志たちはそんな選挙システムに異論を唱えるために、積極的に投票を放棄していたのだ。
それを「全員参加」と押し付けられたため、立ち上がったのである。

全員参加を訴えた足子先生は出水の存在を記憶から消してしまったが、鈴木先生は納得した。
出水らの主張は生徒たちにどのような影響を与え、生徒会選挙ではどのような結果が出るだろうか。
結果がどうであれ、出水は立候補した以上、やり遂げなければならない。

↑選挙に志もなく人気者や組織票を投じる不真面目な一票が、真剣に投票した者と同じ価値があるこの選挙システムを変えるために立ち上がったのだ。


そんな中、二つ目の大きな事件が起きる。
文化祭に向けて鈴木先生のクラスでは演劇の練習をしていた。
放課後も練習を重ねており、彼らが練習に選んでいたのは近くの公園だった。
だが、その公園は以前より不審者が多いと噂されていた。足子先生は公園の喫煙スペースの撤去を市に要請。結果として、公園から喫煙所は撤去された
しかし、その場所を唯一の憩いの場としていた人たちがいた。

卒業生の勝野と田辺もその一人である。
田辺は卒業後に引きこもりになってしまい、就職浪人中の勝野も自宅に居場所がなく、田辺と共に公園でタバコを吸いながら語らうのが唯一の憩いとなっていた。
そうして田辺と勝野はお互いに支え合いながら少しずつ社会復帰を目指していたのだが、公園で練習していた中学生たちからは不審者扱いをされ、喫煙所も撤去されてしまう。

↑無職で引きこもりの二人には公園の喫煙所しか行くあてもなかった。喫煙所は社会と繋がる最後の憩いの場だったのだ。

やがて田辺が自宅で家族に暴力事件を起こして逮捕されてしまった
勝野は母校を前にしてあることを決意した。
将来を夢見る中学生を襲い、不条理を突き付けること勝野は学校に乗り込み、小川蘇美を人質にとって立て篭もったのだ。

屋上で小川にナイフを突きつける勝野は、救出を試みようとする鈴木先生に訴える。中学校で先生に手のかからない優等生として学業に励んでも、社会ではズルい人間に淘汰される存在だったこと。純粋で真面目な生徒を生み出す学校教育そのものが間違えていること。だからこそ、小川のような純粋な生徒を犯して不条理を教えてあげるのだ、ということ。
勝野の訴えこそ鈴木先生が自身の教育論で危惧していた学校教育の落とし穴だった。
集団教育ではどうしても手のかかる問題児に教師の視線が行きがちだ。だが、教師が問題児に対処できるのは、手のかからない勝野や小川のような真面目な生徒の心の磨耗の上に成り立っているのだ。

鈴木先生は純粋で真面目な生徒が淘汰される社会のシステムが変わらないのなら、せめて教育で生徒たちを変えようと努めてきていた。
真面目な生徒こそ心がぽっきり折れる可能性を持っている。その信念の元に、それぞれの諸問題に対面して互いに考えさせてきたのだ。
出水が立会演説会で、投票というシステムが変えられないなら、せめて避難する権利を認めて欲しいと主張したように、社会をより良く生きやすくなる形に少しでも変えられるような人材を育ててきたのだ。

↑小川はかつての勝野の姿だ。決定的に違うのは、小川は鈴木教室の生徒だったことだろう。彼女の心の摩耗は鈴木先生がかつて教育で向き合った。

演劇の練習で鈴木先生から演じる力が人生に必要だと教えられた小川は、人質にとられても堂々とした態度を演じ続けた。勝野が隙を見せた瞬間に逃走。鈴木先生が先回りしていた隣校舎の屋上に向かって飛び出したのだ。
間一髪、鈴木先生は小川の救助に成功し、勝野は逮捕された

出水は生徒会選挙で当選した。
出水には生徒会長そのものに意欲がなかった。しかし、選ばれた以上、その責任は果たさなければならない
彼もまた、生徒会長になることを決意するのだった。


【逃げ場のない世界】

二つの大きな事件が発生するが、どちらにも共通する声がある。
それは、「せめて"逃げ場"を。」といった悲痛な叫びである。

クリーンな世の中を求める声によって、社会的弱者が淘汰されていく過程が強烈にリアルに感じて心が痛んだ。足子先生はそんなクリーンな声を象徴するような人だ。
過剰なまでのコンプライアンス重視でテレビから面白さや個性を半減させ、旅番組とクイズ番組とグルメ番組だけにしたのも足子先生のような人たちだ。コロナ禍において公園で家族が遊んでいると、警察に通報したような自粛警察も足子先生のような人たちだ。
情勢を冷静に分析して自分なりの回答を導き出す鈴木先生はクリーンな声を高らかに発する足子先生に疑問を投げかける。
立て篭り事件発生時に誰よりも身を挺して小川を救おうとしたところに、唯一、足子先生が生徒を思う側面が描かれていて救われたが。

いかなる場合においても「身の安全」や「美しい教育」を盾にしたら、どんな行き過ぎた議論も有無を言わさず通ってしまう
その結果、社会の隅っこに追いやられて、すべての人にとって正しい事が強要される肩身の狭い世の中に変わってしまったとしてもお構いなしなのだ。

誰しも、そっち側に落ちる可能性は秘めているというのに、自分や自分の家族には明るい未来しかないと信じてやまない
勝野も、田辺も、中学校を卒業するまでは今現在、鈴木先生のクラスで青春を謳歌している彼らのように未来は明るかった。
ましてや自分が将来、公園のベンチに座って淘汰される人間になるなんて信じていなかっただろう。
喫煙所の撤廃は不審者対策として有効だろう。だが同時に、そんな彼らの唯一の憩いの場すら奪ってしまうことになったのだ。

ルールや仕組みを変えることに歯止めが効かないなら、せめて逃げ場を持つことぐらい許してくれ
純真で真っ直ぐな少年が、社会で損をする不条理な世の中。ずる賢いやつが生き残る社会の仕組みを変えられないなら、逃げ場だけでも…。 
そんな訴えが胸に響く。

↑勝野が逮捕される時、鈴木先生は声をかける。彼もまた学校教育の穴に落ちた哀れな生徒の一人だ。それでもまだ未来は閉ざされていないと信じている。

ルールや仕組みが不条理でも、いつの日も世界を変えることができるように自分たちの意見を持ち多角的な視点で物事を考える人を作ること。
常識に捉われず、筋の通った生き方を主張できること。
それこそが鈴木先生が力を尽くす「教育」なのだ。


(124分)