(2003年・アメリカ)
〈ジャンル〉ホラー/サスペンス
★★★☆☆
・幾重にも張り巡らされた罠にすっかり騙されるサスペンス。
・よく練られたストーリーと巧みな構成に驚く。
・ネタバレ厳禁の映画のため、未見の人は読まないで!!
(オススメ値の基準)
★1つ…一度は見たい
★2つ…良作だと思う
★3つ…ぜひ人にオススメしたい
★4つ…かなりオススメ!
★5つ…人生の一本、殿堂入り
〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介
〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉
《あらすじ》
『激しい豪雨の夜、一軒のモーテルに瀕死の重傷を負った妻を担ぎ込んできた男ジョージ。車の修理をしている最中、女優キャロラインの運転手で元刑事のエドが轢いてしまったのだ。病院までの道は大雨で断たれてしまい、モーテルで懸命に応急処置をして看病することになる。そんな中、護送中のパトカーも足止めを食らってモーテルに辿り着いた。囚人を監禁した警官ロードだったが、ロードが目を離した隙に囚人が脱走。同じ頃、キャロラインの生首が発見される。その後もロードやエドらが囚人の姿を探している間に、続けて殺人事件が起こってしまう。』
〜ここに集まったのではない。ここに集められたのだ。〜
《監督》ジェームズ・マンゴールド
(「ニューヨークの恋人」「ナイト&デイ」「LOGAN/ローガン」)
《脚本》マイケル・クーニー
(「精神鑑定」「シェルター」)
《出演》ジョン・キューザック、レイ・リオッタ、アマンダ・ピート、ジョン・ホークス、レベッカ・でモーネイ、ほか
【誰が彼らを殺したのか?】
ネタバレ禁止のサスペンスを見たくはないだろうか?
オチで大いに騙されるあの快感を味わいたくはないだろうか?
本作はその手のタイプの映画である。
終盤のオチに至るまで幾つもの謎と伏線が張り巡らされており、真相の全てを推測して当てることは不可能に等しい。まさに「騙されたい人」向けの上質なサスペンスである。
というわけで、本作を語るにあたってしっかりネタバレに触れたいので、未見の方はここから先はお控えいただきたい。
繰り返すが、本作はオチを知らないことで楽しめるタイプの作品である。
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ネタバレ注意
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物語の舞台となったのは激しい大雨が降り注ぐ夜のモーテルである。
雷雨のせいで道が分断され、田舎に一軒ポツリと立つそのモーテルに人々が集まってくる。
退屈そうにしていたモーテルの主人ラリーの元に駆け込んできたのは、重傷の妻アリスを抱えた男ジョージとその子供ティミーだった。
大雨の中で車のパンクを修理していた中、アリスが後続の車に轢かれてしまったのだ。
事故を起こした車を運転していたのは元警官のエドである。
わがままな女優キャロラインの運転手を担当していたエドはその時、キャロラインの探し物に付き合ってよそ見運転をしてしまったのだ。
大雨のせいで救急車は来ず、病院へも連れて行けない。仕方がないのでエドはモーテルでアリスに応急処置をして安静にさせて雨が上がるのを待つことにする。
その後もモーテルには次々と足止めを食った怪しげな客が訪れてきた。
故郷の土地を買って農業を営みたい娼婦のパリス、数時間前に結婚したばかりだが喧嘩をしているジニーとルー。
そして、護送中の警官ロードと囚人であった。
しばらくして事件が発生した。
女優のキャロラインの生首が発見されたのだ。死体から発見された鍵番号は囚人を監禁していたはずの部屋だった。エドらが急いで部屋に向かうと、監禁していたはずの囚人は脱走していた。
パニック状態になった客たちを一堂に集めて落ち着かせるものの、新婚のジニーは取り乱してしまい自室に篭ってしまう。ジニーをなだめようと説得するルーにジニーは自身がついていた嘘を告白。
ジニーの嘘に怒り狂うルーだったが、突如声が止んでしまう。ジニーが恐る恐る扉を開けると、そこにいたのは無残なルーの死体であった。
一方その直後、エドとロードの捜索によって囚人は発見された。だが、一瞬目を離したすきに囚人は何者かに殺されてしまう。
ロードは現場にいたラリーを疑うのだが、エドはラリーが嘘をつくとは思えない。するとそこに見知らぬ男性の凍死体が発見されたのだ。
ラリーは慌てて車に乗って逃亡を図るが、暴走する車からティミーを守るため飛び出したジョージが轢かれてしまった。そして同じ頃、一連の騒動の裏で重症だったアリスも息を引き取ってしまう。
捕らえられたラリーが告白したのは、モーテルに着いたとき既にここの主人が病死していたこと、金を工面するために死体を冷凍庫に隠してモーテルの主人に成り済ましていたことだった。
キャロラインの死体から続けて連続して鍵番号が発見されていることから何者かが連続殺人事件を起こしていることは間違いない。
エドはジニーとパリスにティミーを連れて逃げるようモーテルから追い出すのだが、その直後、ジニーとティミーが乗り込んだ車が爆破。二人は爆発に巻き込まれてしまった。
エドらが急いで車を消火するも不思議なことに二人の死体は見当たらなかった。そればかりか、どこを探してもこれまで放置していた犠牲者たちの死体が一切消え失せてしまったのである。
残されたエド、ロードとパリス、ラリーは困惑するばかりであった。
↑一瞬にして、すべての遺体が消え失せてしまっていた。一体なぜ……??
【そして、誰もいなくなった……】
一方その頃、とある場所では裁判官や医師たちが集まって明日死刑執行となる犯罪者マルコムの再審理を再検討していた。
マルコムは6人を殺害した凶悪犯であり、多重人格者でもあった。マルコムの弁護士や医師たちは死刑を執行するために明らかにしたいことがあった。
それはマルコムの中にいる凶悪殺人を起こした殺人犯としての人格は誰なのか?ということである。
再審理の目的は、マルコムの中にいる複数の人格を衝突させて事件の真犯人を突き止めることにあったのだ。真犯人の人格を失えば、マルコムの死刑執行は見送られることになる。
突如、そんな再審理の場所に呼び出されたのはエドだった。
エドはマルコムの人格の一部であり、モーテルはマルコム内にいる彼らを一堂に介させるための精神内にある場所だったのだ。
今回の事件と目的を聞かされたエドは自分の存在に驚きつつも、モーテルに戻って実際のマルコムに凶悪殺人をさせた人格を突き止めるために捜査を始める。
警察のパトカーを調べていたパリスはロードが実は警官ではなく、護送中の囚人の一人だったことを突き止めた。
ロードは警官を殺害し、成り済まして逃亡を図っている囚人だったのだ。
真実を知られたロードはラリーを殺し、パリスを襲うために追いかけた。エドはロードこそが殺人犯としてのマルコムの人格だと確信し、ロードを追いかける。
激しい闘いの末、エドはロードを殺害するが負傷したエドも息を引き取ってしまった。
パリスの人格だけが残ったマルコムは殺人犯としての人格を失ったものと診断され、翌日に迫った死刑を見送られる。
入院護送中、マルコムの中には新しい農園を手がけるパリスが生き生きしながら働いていたのだが、パリスの目の前に現れたのは凶器を手にしたティミーだった。
モーテルの人間を次々に殺し、両親の人格さえも計画的に殺害した犯人は少年の人格ティミーだったのだ。
パリスはティミーに殺されてしまい、マルコムの中にはティミーの人格が残されてしまう。
護送中のマルコムは恐ろしい殺人犯ティミーの人格を露わにして医師たちを襲撃するのだった。
幾重にも張り巡らされた謎と伏線、そして秘密を抱えて集まった客たちのミスリードによって誰が犯人であってもおかしくないという状況が作り出されているにも関わらず、結局その真犯人は最も意外な人物だった。
誰だってあの血のついた服を着た違和感だらけのロードこそ真犯人だと疑うのではないだろうか。
あいつは警官ではなくて囚人だと明かされた時、エドと同じくやっぱり!と思ったはずだ。
だが、まさしくそれがミスリード。まさか両親を交通事故で失った小さな子供なんて容疑者リストにすら入っていなかった人も多いことだろう。
しかし、よく見ると犯行が行われる直前ティミーは皆の前から姿を消していたのだ。盲点をついたトリックである。
とりわけ本作についてはモーテルに集まった人々を恐怖に陥れた連続殺人がメインストーリーになっており、犯人探しをするだけでも十分楽しめるサスペンスミステリーになっているはずだ。
しかし、そこに彼らが多重人格者の人格だったという驚愕の真実を加えることによって、二重のサプライズが構成されることになる。
しかも、真犯人が子供でしたという設定も多重人格者の人格なら、精神世界の話だからあり得るかもしれないという現実味を帯びさせることもできるのだ。
母親とマネ遊びをすることで車に轢かせるとか、車の前に飛び出して父ジョージの事故を装うとかティミーの計画殺人は無理な計画も含んでいるのだが、それも精神世界なら都合良くあり得るかもしれない。
なんと巧みな構成となっているのだろうか。
更にこの多重人格者という設定は取って付けたように突然現れた設定ではない。
映画冒頭でマルコムの生育歴と病状を語るシーンが挟まれており、本作の根底に多重人格患者というテーマが潜んでいることはしっかりと示されている。
訳も分からないうちにいつしかモーテルの話に引き込まれ、そのテーマを忘れてしまうのだ。
実に見事に観客を騙したと言えよう。
子供が真犯人であり、マルコムに凄惨な大量殺人をさせたのも彼だったという仕掛けは単に驚かせるための意味合いではない。
マルコム自身の半生を振り返ると、幼少期の虐待が彼の心の中にティミーという殺人少年を生み出したのも納得である。
その後もマルコム少年は自身の人格を解離させ、無数の人格を作り出すことで過酷な現実から逃れたのである。
つまり、マルコムの多重人格は虐待から生まれたティミーで始まり、ティミーに終わったとも言えるだろう。
本作は多重人格者の精神世界を映像として再現し、それをミステリーにしようという試みで成功を掴んだと言える。
そして、精神世界であるからこそ子供を凶悪殺人犯に仕立て上げることができ、マルコムの生育歴という筋の通った説明も整えたのだ。
巧みな罠にすっかり騙されてラストの真犯人にゾッとする映画であった。
(90分)