『未知との遭遇』
(1977年・アメリカ)
〈ジャンル〉SF/ドラマ
★★★★☆
・「午前10時の映画祭ファイナル」で絶賛上映中。
・スピルバーグが初期に描いたSF映画界の金字塔。
・徹底してリアリティを追求した壮大な作品。
(オススメ値の基準)
★1つ…一度は見たい
★2つ…良作だと思う
★3つ…ぜひ人にオススメしたい
★4つ…かなりオススメ!
★5つ…人生の一本、殿堂入り
〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介
〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉
《あらすじ》
『メキシコの砂漠地帯で第二次世界大戦中に失踪した戦闘機群が当時の状態のまま発見された。発電所に勤めるロイも停電復旧作業に向かう途中、謎の飛行物体に連れ去られそうになる。ロイが急いでUFOを追いかけると、UFOは複数機の編隊を組んで空の彼方へ飛び去っていった。その夜からロイは心に浮かぶ謎の風景に取り憑かれるようになってしまう。一方、同じくUFOを目撃したジリアンも同じ風景に心が奪われていた。だがある夜、ジリアンの息子バリーが未確認飛行物体に誘われて連れ去られてしまった。』
〜We are not alone.
宇宙にいるのは われわれだけではない。〜
《監督》スティーブン・スピルバーグ
(「ジュラシック・パーク」「シンドラーのリスト」「レディ・プレイヤー1」)
《脚本》スティーブン・スピルバーグ
《出演》リチャード・ドレイファス、フランソワ・トリュフォー、メリンダ・ディロン、テリー・ガー、ほか
【未知との交流を描いたSF映画界の金字塔】
今でこそSF映画界の巨匠の一人として君臨するスピルバーグの初期の頃の作品なのだが、今見ても十分リアリティがあって非常に楽しめた。
CG全盛期の昨今ではあるものの、ストーリーや見せ方が上手ければ40年以上前の作品でもまったく引けを取らない。
いや、むしろこっちの方がよりリアルを感じた。
ちなみに、『未知との遭遇』はその後何度か特別編等でシーンを追加、削除して再上映されているのだが、今回の「午前10時の映画祭」においては「ファイナル・カット版」となっている。
まず冒頭の砂漠のシーンである。
吹き荒れる暴風で砂嵐が研究員たちを直撃している。風に飛ばされそうになりながら彼らが辿り着いたのは、第二次世界大戦中に忽然と消息を絶ったはずの戦闘機群であった。
時間の経過を感じさせない状態で乗組員もなく突然砂漠の真ん中に現れた戦闘機たち。
荒れる砂嵐と奇怪な謎がこれから起こるであろう未知との遭遇を示唆して不安感を高めており、一気に世界観に引きずり込まれる。
大スクリーンで見たときの没入感がすごい。是非、このチャンスにスクリーンで鑑賞していただきたいものだ。
やがてストーリーの主人公は発電所勤めのロイを始めとする、未確認飛行物体と接触した人々を中心に展開していく。
謎の停電事件で深夜に繰り出したロイは未確認飛行物体に連れ去られそうになるという奇妙な体験をする。その直後、UFOを追いかけた彼が目にした光景は何隻ものUFOが飛行編隊を組んで空の彼方へと飛び去っていく光景であった。
超常現象的光景を目の当たりにした人々はその日から心象風景として謎の逆さカップ状のシルエットが脳裏に焼き付いて離れないようになる。
ロイはその心象風景に心を捕らわれてしまい、仕事を失い、家族とも亀裂が入り始めていた。オカルトを語り、奇妙な言動が目立ち始めた父のことを子供達や妻は不安に感じるのだが、ロイはその事を考えるのをやめられない。
やがて家族はロイの元から離れていってしまう。
一方、少年バリーも夜中に未確認飛行物体に導かれるように例の光景を目撃した一人であった。
バリーの感覚は特に鋭敏で、やがて何かに誘い出されるようになり、バリーは未確認飛行物体に連れ去られてしまう。
母ジリアンもロイと同じく逆さカップ状の心象風景に捕らわれていたのだが、息子を取り戻すため、彼らに再び遭遇する必要に迫られていた。
そんな中、テレビのニュースで流れた光景を目にしたロイとジリアンはそれがワイオミング州にあるデビルスタワーであることに気付く。
実は地球側でも異星人との接触を図る共同プロジェクトが既に立ち上がっており、異星人とのコンタクトに成功した彼らが異星人からのデータを受信したところ、デビルスタワーを直接面会するポイントとして指定していたのだ。
そのため、プロジェクトチームはデビルスタワー周辺に毒ガスが散布されたと嘘のニュースを流し、住民を退避させた。
だが、そのニュースをきっかけにしてあの時から心象風景に悩まされていた人々が集まってきたのである。
【リアルを追求したファーストコンタクト】
その夜、ロイとジリアンらは厳重な警備をかいくぐってデビルスタワーへ登頂した。
そこに広がっていたのは、プロジェクトチームが建設した巨大な離着陸場であった。
やがて異星人たちの乗るUFOが訪れ、マザーシップが着陸する。
まず現れたのは、これまで失踪した様々な時代の様々な人々であった。バリーも無事に現れ、ジリアンは安堵する。
やがて現れた異星人たちとファーストコンタクトを果たした地球人たち。
そんな中、忍び込んでいたロイを見つけた研究リーダーがロイをスカウトし、ロイは異星人たちのマザーシップに乗り込んで宇宙へ飛び立つ事を快諾する。家族を失い、UFOに捕らわれていたロイにとって願ってもいない出来事であった。
ロイは異星人たちに連れられて、マザーシップに乗り込むのだった。
不安感の募る砂漠のシーンから始まり、ロイの人生観が変わったファーストコンタクト、そしてUFOに取り憑かれるロイと狂っていく父親から離れていく家族たち。
やがて訪れる、人類史に残る未知との遭遇とロイの衝撃の決断。
40年前のSF映画で現代と比べてもまだそれほどCG技術が発達していなかったにも関わらず、これほど作品への没入感がすごいのはなぜか。
それは、本作において未知とのコンタクト以外のドラマ性を限りなく排除しているからではないだろうか。
とにかくUFOを目撃したあの日から一連の出来事に巻き込まれていった平凡な人々の未知との遭遇にスポットが当てられていて、それ以外の無駄を一切排除している。その結果、リアリティが増しているのだ。
例えば、UFOを目撃した人々の心に謎の風景が植え付けられたり、その光を浴びると日焼けみたいな症状が出たりするのもリアリティを増すための巧みな演出である。
ロイの家族関係などでドラマ展開が含まれるものの、それもロイが心象風景に捕らわれて狂っていく様を見せるためであり、ロイの妻の憂鬱や子供の不安など、家族の心境等が深く掘り下げられることはない。
というか、多分掘り下げてはならないのだ。なぜなら彼は最終的に結局、家族を捨てて宇宙へ飛び立ってしまうのだから。
それでいてまったく家族の心境が触れられないわけでもなく、食卓でマッシュポテトを見てまた心象風景に引き込まれてしまう父親に涙する息子が描かれたりする。
子供たちも父親が父親でなくなっていく姿が辛くて仕方がないのだろうなぁと胸が締め付けられる。
よく考えたら到底起こり得ない出来事なのだが、宇宙のどこかに別の生物は確実にいるだろうし、それが明日訪れないとも断言できない。
その僅かな可能性についてここまでリアリティ溢れるストーリーと演出で見せてくれたら、起こり得ないと分かっていても「起こるかもしれない」と信じ込んでしまう。
もちろん映画というものは、大抵そういう「嘘」で作られているのだが、本作はそんな「嘘」を本当のように語るのが非常に上手い作品だと思った。
(135分)