そんなヴィヴィアンのことを忘れられないエドワードは、彼女の自宅に迎えに行く。
冒頭、ヴィヴィアンは家賃滞納で怒っている管理人から見つからないように自宅アパートの窓から外へと抜け出していた。非常用ハシゴを降りて、ひっそりと抜け出すヴィヴィアン。
ところが、クライマックスではその非常用ハシゴはエドワードがお姫様を迎えにくるためのハシゴへと役割を変えて再登場する。
白いリムジンでやって来て、花束を持ち、高所恐怖症のエドワードがハシゴを登る様は、さながら白馬の騎士が勇気を振り絞ってお姫様を助けるために塔を登ってくるかのようである。
お姫様はこれまでずっと小さなアパートに幽閉されていた。この小さな部屋に閉じ籠り、自分が住む世界は夜の街にしかないという限定的な世界に自分を置いていた。
エドワードと出会い、ヴィヴィアンは自分自身の可能性を知った。身を着飾り、背筋を伸ばして堂々としていれば、周りの人たちの視線が変わるということ。娼婦を見定める見下した目から、高貴な女性を見る時の羨望の目に変わるということ。
自分自身を娼婦にするのも、女性としての誇りを守るのもすべて自分自身の一歩で変わるのだということを、エドワードとの関わりで知ったのである。
幼い頃のヴィヴィアンの夢は、お姫様の自分を助け出す騎士が現れるというものだった。
そして今、迎えにきたエドワードによってその夢は実現する。
二人が抱擁する階下で、「ハリウッドは夢が叶う街」と叫ぶ男が歩いている。彼は序盤でも街行く人たちに夢はあるかと尋ね歩いていた。薬物が蔓延る街なので、その時は気が触れた人としか見えなかったが、最後にまた彼が現れてその意味が通じることになるとは思いもしなかった。
上手い伏線回収である。
ただ、この作品はおそらく時代の変化とともに見方が変わってくるのだと思う。
この当時は純粋に「現代版シンデレラストーリー」として好評を得ていたかもしれないし、実際にその視点で見れば爽快なラストで面白い。しかし一方で、今の視点で見るとどうだろう。
最初、前情報が何もなかった私はエドワードは結局お金を出しつつも彼女とはプラトニックな関係で恋愛に発展していくのだと思っていた。
エドワード自身がまるで君の身体を買ったわけではないかのように紳士的に振る舞っていたからだ。ホテルの部屋に入っても、彼は仕事の書類と向き合って、ヴィヴィアンが迫ってきても一度は断っていた。
ところが初日の夜から結局エドワードはヴィヴィアンと娼婦として関係を持つ。その時、違和感を覚えたのは事実である。もちろんヴィヴィアンはそのつもりでホテルまで付いてきているし、エドワードが顧客である以上、ある意味自然のことなのかもしれないが、だからこそエドワードとヴィヴィアンはお金で契約された関係であるということが確立したのだと思う。
そしてそれは、そのまま大金を払って6日間契約したことも、お金を払って着飾らせたことも、まるでエドワードが大金によって自分好みの着せ替え人形を作っていくかのようにも見えてしまうのだ。
しかも二人には相当の年齢差がある。とても悪意のある言い方だが、純愛とは違う歪んだ関係のように見えてしまうのも事実ではないか。
やがて彼はヴィヴィアンの人生を迎え入れるのだが、ヴィヴィアンという女性がエドワードに依存していないと生きられなくなってしまったという側面も浮き彫りにされている気がする。
結局のところ彼女の自立は、エドワードの経済力によって実現されている。
ただ、個人的にはその見方はあくまで一面的でしかないようにも思える。
ヴィヴィアンのことをお金で囲っていたという事実だけで見れば、そのように歪んだ関係に見えるかもしれない。しかし、ヴィヴィアンとの出会いによってエドワード自身の内面に変化が生まれていることは一つの大きな成長だったと思う。
これまで企業買収を利益の部分でしか見ていなかったエドワードが、モース社との企業買収案においては買収を取りやめ、業務提携をすることを決めていた。
それはヴィヴィアンの言葉から自分の本心を突かれたからだった。モース社との会食で社長から激怒されたことに落ち込んでいた時、ヴィヴィアンはエドワードが社長のことを人として気に入っていることを見抜いていたのだ。
10年来の友人と称していた顧問弁護士のスタッキーのクズ男っぷりが露見された時には、エドワードは激怒してスタッキーとの縁を切ってしまう。それもまたヴィヴィアンのことを傷付けようとするスタッキーから守るためであった。
人の素質を見抜き、純粋に感情を表現することのできるヴィヴィアンの良さはエドワードにはないものだったのだ。
エドワードの内面を変えた出会いであるところを見ても、決してただのお金で囲った関係ではないように思える。
また、このホテルのスタッフが有能揃いでとても感激した。
ヴィヴィアンの正体にうっすら気付きつつも、彼女の嘘に付き合って、彼女に服を仕立てるよう仲介してくれる支配人。こんなに尽くしてくれたのに名前を紹介しても覚えてもらえないのもまた、裏方として健気である。
空気の読めるエレベーターボーイも素晴らしい。
彼女のことを応援してくれているスタッフがこのホテルには沢山いたことが、ヴィヴィアンにとっても幸いだつた。
こういう所こそ名門のホテルなのだろう。
ジュリア・ロバーツが純粋に喜怒哀楽を表現するのがとても微笑ましいのも、本作の見どころの一つである。
ホテルのバスタブで音楽を聴きながら大熱唱してしまったり、初体験のオペラ鑑賞で感激したり。
娼婦の格好で店に入った時に追い出された店へ再び翌日着飾って来店し、
「昨日コケにしたでしょ?逃がした魚は大きいわよ。」
と店員たちを挑発するのも最高に痛快だった。
客を見た目で選ぶ店員への逆襲は実にスカッとした。