【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆ -2ページ目

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

​『国宝』 

(2025年・日本)

〈ジャンル〉ドラマ



~オススメ値~

★★★★☆

・実写邦画の興行収入歴代一位を記録。

・劇場で一気見することで得られるラストの感嘆。

・次のステージへと上がった主演の二人。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『1964年、長崎のヤクザだった立花組の宴席に招かれた有名な歌舞伎役者の花井半二郎は、余興として歌舞伎の演目をやる少年を見つける。その素性は立花組組長の息子・喜久雄で、芸事は独学で身につけたのだった。直後、対立組織との抗争になり、喜久雄の目の前で父は死ぬ。それからしばらくして喜久雄は抗争相手に復讐を仕掛けるが、襲撃は失敗。半二郎は身寄りがなくなった喜久雄を引き取り、部屋子として歌舞伎の稽古を付けることにした。半二郎には喜久雄と同い年の息子・俊介がおり、二人は兄弟でありライバルとして育てられる。数年後、才能に溢れる若手女形として二人の人気は高まっていた。ある日、半二郎が事故で入院することとなり、「曽根崎心中」の主役に代役を立てることとなった。俊介は覚悟を固めるが、半二郎が選んだのは喜久雄だった。世襲制の歌舞伎の世界では異例の出来事で周囲は驚くが、喜久雄は半二郎の代役を見事に演じきる。一方、俊介はその舞台を目の当たりにし、悔しさを噛み締めながら行方をくらますのだった。』


〜ただひたすら共に夢を追いかけたーー〜


《監督》李相日

(「フラガール」「悪人」「怒り」)

《脚本》奥寺佐渡子

(「サマーウォーズ」「八日目の蝉」「コーヒーが冷めないうちに」)

《出演》吉沢亮、横浜流星、高畑充希、寺島しのぶ、森七菜、三浦貴大、見上愛、黒川想矢、永瀬正敏、宮澤エマ、嶋田久作、中村鴈治郎、田中泯、渡辺謙、ほか






【人間国宝の上に舞う紙吹雪】


公開から半年以上の期間が経った今でも客足が途絶えない。実写邦画の興行収入歴代一位を記録し、昨年の新語・流行語にノミネートするなど、昨年から話題になっている本作。
スクリーンでなくてもいつかは見るつもりであったが、知人から強く勧められて遅ればせながら鑑賞。
確かに歌舞伎の大舞台での観客たちの拍手の音や舞台の床を踏む音などが間近に感じられ、スクリーンならではの臨場感があった。ドラマを盛り立てる劇伴も重厚感のあるもので凄まじい。
3時間越えの超大作だが、たとえばもしもこれを自宅で配信やDVDで見た場合、その長さゆえに途中で止めて見たり二日に分けて見たりしてしまうかもしれない。いや、3時間引き込まれる魅力はあるのだが、それができてしまうのが自宅鑑賞の功罪。
だが、最後まで見て分かったことだが、これは一気見しなくてはならない作品だったと思う。一気見しないと、本作のラストで押し寄せる感嘆の感情は半減するだろう。
そういう意味でも劇場公開を見逃すことなく済んで実に良かった。

極道の息子だった喜久雄が、抗争によって父親を目の前で殺される。
天涯孤独となった喜久雄を引き取ったのは、歌舞伎界で名を馳せる花井半二郎だった。半二郎によって女形の才能を見出された喜久雄は、跡取り息子の俊介と共に歌舞伎役者としての道を歩み始めていく。
歌舞伎界の「血」はないが才能を持つ喜久雄と、「血」を持ちながら何かが足りない俊介が切磋琢磨しながら本物の歌舞伎役者を目指し、やがて人間国宝へと辿り着くまでの壮絶な人生が描かれていく。

喜久雄は神社でお祈りをしていた時、隠し子の小さな娘・綾乃から何を願ったのか問われると「悪魔と取引をした」と言う。本作で喜久雄の人生の軸となるとも言える重要なシーンである。
日本一の歌舞伎役者になるために、それ以外の全てを捨てても良いと契約したと言うのだ。
それはつまり、目の前にいる娘さえも捨ててしまうという覚悟であり、すべてを理解せずとも綾乃は父の覚悟の恐ろしさを感じ取っていたに違いない。
その言葉通り、襲名披露の際には小さな綾乃が懸命に父親のことを呼び止めても、一瞥するだけで相手にもしない。隠し子である綾乃の存在が世間に知られることは、自身の歌舞伎役者としての人生には障壁にしかならないからだ。
いくら隠し子であろうとも、子供の愛情を無碍にする喜久雄の非情な覚悟には共感の気持ちを寄せられない。しかし、歌舞伎役者としての血縁がない喜久雄にとって、悪魔と非人道的な取引をしなければ辿り着くことが難しい高みがあるのだ。

喜久雄の役は吉沢亮にしかなし得なかった。
この映画が作られた時代に吉沢亮という俳優がいたことが奇跡の巡り合わせとも言える。
それは卓越した演技力や、大河ドラマで主演を張ったという経験値やネームバリューという点だけではない。
万菊が初めて喜久雄に会った時に言ったように、女形に相応しい「美しい顔」であることが重要だったのだと思う。顔の見栄えで役を喰ってしまうぐらい、役者としては顔が足枷になってしまうほどに「美しい顔」であることが重要だった。
それは役者としての経験を踏んでも、演技力を伸ばしても得られない天性の宝物
誰もが見惚れるほどの美しい顔がなければ、本作の喜久雄は万人に受け入れられなかったと思う。

そして、俊介を演じた横浜流星も素晴らしかった。
唐突に家に入ってきた喜久雄と共に切磋琢磨しながら芸を極める俊介。だが、父が喜久雄の芸の技術を認めたことによって苦悩する。
それは父・半二郎なりの厳しさであり、崖下に落とした息子が這い上がることへの期待もこめられていたのだろう。いったんは姿を消した俊介だったが、役者の道を諦めたわけではなく、むしろ歌舞伎役者として大成して戻ってきたのだ。
だが、成熟した後に穏やかな役者人生が訪れるかと思いきや、そうではなかった。俊介は新たな試練に行手を阻まれる。それは糖尿病の悪化による左足の切断だった。
芸事を極めた先にある病魔。抗えない宿命に苦悩しながらも、役者として最後まで舞台に立ち続けようとする俊介の凄まじい覚悟を、横浜流星が歯を食いしばって演じていた。

そもそも本作で女形の歌舞伎役者を本物同然に演じるだけでも、二人が果てしない努力を続けてきたことがよく分かる。歌舞伎演目のシーンは思っていた以上に多くて長い。
一体どれほどの訓練を積んできたのだろう。その努力が実を結び、本物の歌舞伎役者の魂が憑依したかのように舞台に立つ二人の演技が圧巻であった

併せて、喜久雄の少年時代を演じた黒川想矢も凄まじい。
女形の動きを身に付ける演技力だけでなく、過去の暗闇を常に身に纏っている。それは目の前で父親を敵対する組織から殺され、意を決して決行した敵討ちにも失敗したという闇である。
花井半二郎に見出されて引き取られた喜久雄は、その後はずっと歌舞伎役者としての道を邁進していく。だが、その目はずっと一流の歌舞伎役者の向こう側にある一点を見つめ続けていた。

それは、芸を極めて父の仇討ちをするということ。時折喜久雄が見る幻影は、紛れもなく父が死んだ夜、珍しく長崎に降っていた雪の幻影であった。舞台上に降る紙吹雪も、あの日の因縁に繋がっている
喜久雄がすべてを投げ打ってでも日本一の歌舞伎役者になりたいと悪魔と取引したのも、すべては父を殺されたあの日から端を発している
黒川想矢はそんな復讐心に囚われた少年の中に渦巻く闇を、その目で表現しているように見えるのだ。
是枝裕和監督の「怪物」でも難しい役どころを演じていた彼の今後が末恐ろしい。
映画界やドラマ界をリードする若手俳優として、際限ない可能性を感じさせられる


【"みなさま"のおかげ】


それまで切磋琢磨してきた喜久雄と俊介だったが、大怪我をした半二郎の代役として半二郎が選んだのは跡取り息子の俊介ではなく、喜久雄であった。
周囲の反対を押し切って喜久雄を代役に立てる半二郎。だが、喜久雄はその大役を舞台で見事に演じきる。

喜久雄が代役で演じた「曽根崎心中」は愛する男のために死ぬ覚悟を持つ女性を描く。本番前の稽古で半二郎が気にかけていたのは、喜久雄が表現する死への覚悟であった。男を愛する女性の気持ち、死ぬことすら覚悟する深い気持ちを喜久雄が演じきれていなかったのだ。
だが、半二郎の指導を受けて自らの頬を叩いた喜久雄は、その時点から女性の魂が憑依したかのように熱演できるようになる。
それは、目の前で父を殺された経験のある喜久雄だからこそできた熱演であった
あの時の父も、自分の死を悟っていた。自分が死ぬことを覚悟しながらも、共倒れになる覚悟で抗争相手に立ち向かったのだ。

喜久雄の圧巻の熱演を見た俊介は打ちのめされ、以来、音信不通となってしまう。
その後、8年間俊介は戻ってこなかった
やがて病によって寿命が僅かであることを悟った半二郎は名跡を喜久雄に託すことを決め、自らは白虎を襲名することを決める。
襲名披露の大舞台で吐血して倒れ込んだ白虎は、意識が薄れゆく中、「俊ぼん、俊ぼん」と息子の名前を呼び続けていた。
失踪した息子に見切りをつけて自らの名跡である半二郎を喜久雄に託した白虎でさえ、死に瀕した時には息子の姿を求めるのだ。
それは喜久雄が「血縁」という大きな壁を改めて思い知った瞬間であり、喜久雄にとって決定的な一撃となっていただろう。
何かに対して謝り続ける喜久雄の姿が切ない。

白虎の死後しばらくして、役者としての武者修行を終えて帰って来た俊介は、底辺から這い上がってきた重厚感を背負って戻ってきた
役者として、父にも負けない「本物」になって戻ってきたのだ。その後、万菊から取り立てられたのも役者としての成長を見込まれてのことであり、決して血縁だけの問題ではなかった。
だからこそ丁度その頃、過去の素性や隠し子の存在がスキャンダルとなって栄光から転がり落ちるように端役に回されていた喜久雄には、悔しかっただろう。
戻ってきたプリンスは、育ちや見た目だけでなく、中身を伴っていたのだから。
芸の技術を買われて白虎から3代目を受け継いだ喜久雄に対して、俊介は純粋な血縁と芸の技術の両方を兼ね備えていたのだ。

そんな喜久雄の心を察して万菊は「それでも役者は舞台に立たねばならない」と諭す。この言葉が喜久雄にとって役者としての呪縛となったのは間違いない。
役者として這い上がるために彰子の愛情を利用しようとした喜久雄は歌舞伎界から身を引き、それでも彼はドサ周りをしながら役者を続けていった。
今思えば、人間国宝である万菊は悪魔の化身だったのかもしれない。芸以外のすべてを捨てて一生を終えようとしている万菊は、悪魔と取引した時の喜久雄の願いそのものの末路であった。
人間国宝である万菊が死にゆく部屋には、万菊という個人が残した人生のカケラは何もなかった。

やがて俊介は父親同様に病魔によって志半ばに他界し、歌舞伎界に戻ってきた喜久雄は人間国宝へと辿り着く。
人間国宝となった喜久雄が再会したのは、かつて彼が見て見ぬふりをした隠し子の綾乃だった
「あなたはいろんな人を犠牲にして来た」と告げる綾乃。綾乃は喜久雄のことを父親として認められなかった。だが、綾乃は喜久雄の演技を見てそれでも舞台上の父親に拍手してしまったと言う。
父親としては最低。しかし、役者としては一流
まさしく悪魔と取引した通り、喜久雄は日本一の歌舞伎役者になっていた
綾乃と喜久雄の再会シーンはほんの僅かしかない。だが、その僅かなシーンで綾乃が経験してきたこれまでの人生における父親への恨みも感じられるし、役者として大成した男への称賛も感じられる。

綾乃、藤駒、彰子、白虎と妻・幸子、そして俊介。
喜久雄がこれまで一体どれほどの人間の人生を振り回してきたか。数々の人々の人生を踏み台にして、喜久雄の人間国宝としての大成がある
インタビューで語っていた通り、本当に「みなさまのおかげ」なのだ。

そして同時に、役者としての大成によって、ようやく殺された父親の仇がとれたというのも感慨深い。
その先で彼が見た光景は、思わず舞台上で「美しい」と呟くほどの光景だったのだ。

本作で喜久雄と俊介が歌舞伎役者として大成したように、吉沢亮と横浜流星は間違いなく本作で次のステージへと上がった
この二人が本作に向けて培った努力は、邦画の記録を塗り替え、映画史を変えたのだ。

(174分)