きっかけは不育症のおじいちゃん先生に診てもらったことでした
たくさん病院に通うのは大変でしたが、おじいちゃん先生には当帰芍薬散やバファリンを処方してもらっており早い段階から親身になって診てもらっていたため、途中で通うのをやめることもできませんでした。
おじいちゃん先生に、胎盤に行く血流が悪いと言われました。
赤ちゃんの心拍や成長はその時問題ありませんでしたが、血流が悪いと妊娠中毒症になり胎児も順調に成長しない、オルガランを打って血流を改善すべきと強く言われました。
妊娠中毒症を調べると妊娠高血圧症候群の古い言い方でした。
なんてけったいな病名やと思いましたが、昔は胎児が原因と考えられていたからだそうです。
私と同じような血流だった妊婦さんが少し前に35wで死産されたと聞いたことが衝撃でした。
おじいちゃん先生はもともと母子センターの内科医で、産科医とは意見が合わないこともあったようです。
なによりも血流がとても大事だと考えており、血流が悪くなってきた時点で胎児を取り出してやれば助かったのに、産科医は血流をしっかりみようとしない、内科医が胎児を早く取り出すよう指示はできない、というようなことを話していました。
赤ちゃんに酸素や栄養を運ぶのは血液なんだから、血流が大切というおじいちゃん先生の話は何もおかしくないと素人ながら考えていました。
だからこそその話を聞いた私はもう何もできないくらいショックを受けていました。
その日旦那さんと話し合ってオルガランをすべきか、大学病院の先生に電話で聞いてみることになりました。
今回の妊娠はグロブリンを大量投与してもらっているため、大学病院の先生に相談せずにやるのは良くないと考えたからです。
電話すると、診察しない限りなんとも言えないということで3日後に診察を入れてもらえました。
かなり急な診察でしたが、旦那さんは仕事を休んでついてきてくれることになりました。
私がつわりでしんどかったからではなく、エコーを見たかったからでもなく、治療の判断を私一人にさせるべきではないから一緒に行くと言ってくれました。
不育治療に関して情報弱者である私たちはずっと二人で相談しながら治療を進めてきました。
この時一緒に病院に行くと言ってくれたこと、本当に嬉しかったです
大学病院の先生の意見は次のようでした。
右側の血流は悪いがオルガランをやって改善するとは限らないし、ちょっといい健康食品みたいなもので害はないのでやっても良いが他に施すことがないから提案しているだけ。
血流と血圧(私はもともと上が100ないくらい血圧が低いのですが、その時は120/90を叩き出しました)を見た感じ、妊娠高血圧症候群の予兆はあるが、妊娠高血圧の治療はバファリン以外有効なものがない。
安静は意味があるとは思うが、今後多少出血してもバファリンは継続する。
産科医としては、30週過ぎて偶発的に起こる死産と血流との因果関係は認めていない。
産院の先生にも聞いてみましたが、胎児発育不全や妊娠高血圧になった時に対処していくという意見は同じでした。
結果、今回大学病院の先生主導の治療を行ってきた私たちはオルガランをやらないことを決めました。
不安になってしまうので不育のおじいちゃん先生の所にも通うことをやめ、大学病院で薬も処方してもらうことにしました。
どこの宗教を信じ納得して治療を進めていくか、その決断を迫られた安定期のスタートでした。
私の流産の悲しみに寄り添ってくれた不育のおじいちゃん先生の所に通わない決断をしたことは私にとってつらいことでしたが、もう振り返ってはいけません。
お風呂でふくらはぎをマッサージする、水分をしっかりとる、お灸をする、サバを食べる、安静にする、左を下にして寝る。
今できることをやらなくては。