忠典です。





2024年3月11日、今日で東日本大震災から13年が経過しました。あれからもうそんなに経っているのかという感情です。





当時自分は14歳、中学2年生でした。




総合学習で1年間の振り返りをまとめる時間帯だったような気がします。




もう少しで書き終わるという時に揺れを感じ始める。その当時までは平均しても震度2〜3、最大でも震度4までしか経験した事が無かったから「遠めだな?」とか考えていたら急激に揺れが強まり、たちまち教室内は大騒ぎに。




天井から下がっている照明は左右にグラングラン揺れて、机の上に出ている筆記具とかも全て落下。




女子は泣き出す、男子は興奮して口が止まらなくなる。




外に避難しても極わずかな揺れは依然として続いていた。自分は揺れには敏感なのでわかるんです。




自分の住む地域は震度5強を観測していました。家でもお袋が戸棚を抑えてガラス面が割れないように必死だったけど、戸棚の上に置かれている寸胴が揺れと共に前に迫り出してきて頭に落下してきそうになった模様。





積み上げてあるビデオテープは全て崩れ落ち、片付けは困難を極めたと言います。




教室に戻って緊急下校指示が出された直後にまた大きな余震。その余震は震度4だったような?





家に戻ってテレビを確認すると、各スタジオと最大震度7を観測した宮城県の様子が交互に映し出されており、規模の大きさに愕然としました。





続けて映し出されたのは更に津波が列島を襲う瞬間。山道まで濁流が押し寄せ、建物が次々に飲み込まれる。




本当に言葉が出ませんでした。




それからというもの各地から支援物資が送られており、自分の方でもサイズが合わなくて履けず余っていた靴を被災地に送る手配を取りました。




この様子は本当に忘れてはならない。今年も元日に石川県能登半島をやはり最大震度7の揺れが襲っている。




当たり前の日々がいかに恵まれた環境かというのを痛感させられました。




今年も14時46分に社内で黙祷が捧げられる予定。





この震災を知らない世代にも、もし自らの身に巨大な災いが起きた事を考えて語り継いでいかなければならない出来事です。





この記事においても改めて揺れや津波による犠牲者に哀悼の意を捧げます。