本を読むことは大切だ、といわれます。
人生の困ったことを解決したり、夢を実現したりするためにとても役立つものです。
でも、自分の力でやることのほうが大切じゃないの?
という考え方も、ありますよね。
本は、誰かが書いたものです。
それでは、発想を転換して、本を書いた人の事を考えてみましょう。
本を書いて、出版するというのは、これは凄いことのようです。
1冊の出版を実現するのには、最小で5000部といわれます。
これには、だいたい500万円程かかるそうです。
売れないと、出版社の赤字になります。
著者に請求が行くわけではありませんが、印税はほとんど入ってきませんし、
次作の出版が難しくなってしまいます。
世の中には、ものすごい数の本がありますが、
出版された本は、世の中に存在した人の数よりはずっと少ないでしょう。
一部の人だけが、それも多くの場合はたった一冊、本を執筆して残しています。
その人にとって、その本というのは、どのような意味があるのでしょうか。
おそらく、自分の人生の集大成のようなものなのではないでしょうか。
本を出版する機会というのは、そうそうあるものではありませんから。
図書館や本屋に行けば何万冊とある本ですが、その一つ一つは、
出版社の500万円の投資の審査を通り、責任を背負った編集者のGOサインを得て、
出版された、その著者の人生の集大成。
1000円~2000円、古本屋ならもっと安く、図書館なら無料で借りられます。
しかし、著者にとってのその1冊の意味を考えれば、
その人の人生を読ませてもらうという事です。
そう考えると、たった1冊の本への向き合い方が、変わるのではないでしょうか。
夢を実現するために、多読をすすめられることは多くあります。
多読は、本当に有効です。
世の中の、偉大な功績を残した人の多くは、圧倒的な才能や努力をしていますが、
同時に圧倒的な読書家でもあるようです。
ただし、ただ多読をしたわけではなく、新しい知恵を執念深く求める中で、
結果として多くの本を読んだということになると思います。
多読をしたい、そのために、速読ができたほうがよいのでしょうか。
速読、というのは、専門の本も出ていたりします。
すごい速読の能力を持った人がメディアに出ることもあります。
専門的な機関で訓練すると、信じられないような速度で読めるようになるようです。
結論からいうと、極端な速読能力は、夢の実現にはまったく不要でしょう。
通常、夢の実現に、何万冊も読む必要はありません。
それよりも、自分にとって大切な1冊にしっかり向き合い、生かすこと。
この方がずっと大切になります。
時間が限られる中で、本を読むことばかりが中心になってしまうのも考えものです。
手段と目的が、入れ替わってしまう事があります。
ビジネスをやりたいからと、ビジネス書を読む。
そうするうちに、よりよいビジネス書を探すことが目的であるかのようになってしまう。
それは、本末転倒ということになります。
えてして、本の良しあしを語りたくなるのは、読書が目的化していることの現れです。
もちろん、本によって、その内容の密度や情報量は異なりますし、
すでに知っている内容ばかりであれば得られる情報量は少なくなります。
しかし、本に書かれた事が素晴らしいかどうか、の議論は意味がありません。
それは、解釈にすぎません。
どんな料理が好きですか?の質問と同じで、結局は好みの問題になります。
また、本の内容を批評しようとするような姿勢は、本から得るものをロスしています。
本当に、夢を実現するために時間を無駄にしない人は、本の出来栄えに関係なく
そこに描かれた作者の経験知や、教訓を、できる限り抽出します。
1冊の本の中に、100も、1000も、学びがある、ということにもなります。
この視点からいうと、速読それ自体というのはあまり意味がありません。
それよりも、本を読んでいるときの、脳の働かせ方のほうが、大切ということになります。
自分の夢の実現に向けた知恵として吸収し活用しようとする脳の働きです。
さらに、書いてあることを実践する行動力が何より大切です。
どんな名著でも、書かれたことを1度でも実践する人は、数%しかないとも言われます。
これは、セミナーを受講してから実践する人がきわめて少ないことと同じようです。
本当に成功する人、卓越した成果を出す人というのは、素晴らしい名著を何百冊も
読んだから成功したわけではありません。
本に限らず、身の回りの限られた時間に得られる知見をどれだけ貪欲に吸収できたか、
が大きなポイントです。
実践して初めて分かることが多くあります。
本当の意味で、本の知識を吸収するというのは、実践して自分の能力に組み込む事です。
ここで、1冊の歴史小説に描かれた人物を紹介したいと思います。
著名な歴史小説家 司馬遼太郎の著書「峠」の、主人公「河合継之助」です。
この人物は幕末の長岡藩の家老となった人で、長岡藩を幕末の混乱から救おうと考えていました。
この人物の、読書への取り組み方は、とにかく変わっていました。
1つの書を、何か月も、何年もかけて、何度も何度も、写経し、念じるというものでした。
幕末にあっても、書生と呼ばれた多くの人が、多読により様々な知識を得ていました。
一方この人物は、繰り返し頭に刻み込むことで、世の中の真の原理原則を得ようとしていました。
そのように、この小説には描かれています。
速読でなくとも、その本から物事の本質を見極めようとするような本の読み方こそが、
目的を達成するために、一番大切なことだといえます。
読書に慣れて、ある程度の量を読んで、実践していく事を続けていくと、
それなりに速く読めるようになります。
特に、一度習熟した事について、その知識よりやさしい内容で書かれている本を読むと、
あっという間に読み飛ばすことができます。
一方、たとえば「七つの習慣」や「思考は現実化する」のような深淵な書籍を、
1時間で読みました、というのは、まったく意味がありません。
そのことは、ここまで読んでいただいた方にはよく理解いただけるのではと思います。
本というのは不思議で、夢を実現するために、本当に役立つものでありながら、
それを読むこと自体が、とても楽しいものです。
成長のためのステップ自体が人生の喜びになっているということです。
人生のための読書を愛せる人は、本当に幸せですね。