『念仏とほかの余善』
秋のお彼岸を過ぎました。昔からの言い伝えのとおり、『暑さ寒さも彼岸まで』というように、お中日の日を境に秋の空気、涼しさとなりました。これからの時期、紅葉とともに、京都をはじめ各地の寺院参拝をされる方も多いと思います。今月は、お念仏とほかの余善、たとえば、他の宗派のお寺への参拝や朱印状集めなどについて、お話します、
法然上人のご法語に
『問うていわく。念仏のほかの余善をば、往生の業にあらずとて、修すべからずという事あり。これはしかるべしや。
答えていわく。たとえば人の道をゆくに、主人一人につきて、おおくの眷属のゆくがごとし。往生の業の中に念仏は主人なり、余の善は眷属なり。しかりといいて余善をきらうまではあらべからず。』
【十二箇条の問答・昭法全679】
訳:ある人が次のように尋ねました。「お念仏以外の善行は往生が叶う行いではない。それゆえ、修めてはならない、と言われることがあります。それは本当ですか」と。
そこで法然上人は次のようにお答えになりました。「たとえば、人が旅をする時、主人一人に対して多くの家臣が従って行くようなものです。往生が叶う行いには、お念仏が主人であってそれ以外の善行は家臣のようなものです。しかし、だからといってお念仏以外の善行を嫌うほどのことではありません」と。
【法然上人のご法語③ 対話編 114P 浄土宗出版局】
極楽往生を願うには、お念仏が一番大事であることに疑いはありません。しかしながら、他の仏事、お寺への参拝や朱印状など、これらが悪いことではありません。それらは、皆さまのお念仏の助けとなり、皆さまの功徳になります。
秋の紅葉、寺院巡りは風情があるものです。各所を巡り、皆さまのお念仏への思い、功徳が積まれることを願っております。
合掌