最近、握力がなくなったのか、続けて3回カップを割りました。
ひとつめは、夫のカップだったので、「やっちゃった。でも、キャビネットに、隙間ができてよかった!」、夫も気づかず、ちょっとスッキリして、嬉しかった。
2回目のデュラレックスは、割れ方の驚きが大きくて、びっくりはしましたが、割れる危険性がわかったので、今処分できてよかったです。
3つめのカップは、私のお気に入りのカップでした。
でも、割れた破片を集めながら、次はどんなカップ買おう、と悲しい気持ちより、ワクワク感の方が大きかったです。
割れたのは残念ですが、今まで長く使っていたので、寿命だったと、感謝してお別れです。
こんな私でも、若い頃は執着の塊でした。
母に買ってもらった子供用食器のカップを、子供が割った時、もう悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。
ここじゃ買えないモノなのに、母がわざわざ買ってくれたのに割ってしまった。
あまりに残念で、次に日本に行った時、同じものを買ったぐらい執着してました。
そのカップ、今でもあります。
子供用なので、小さくて誰も使ってません。
さらに、割れるのが怖くて、子供にもあまり使わせていませんでした。
あの時、割れたままだったら、今は手元になかったのにと思うと、本当に、今思い返すと馬鹿なことしたなと思います。
執着の塊だった私ですが、お年頃なのか、今は食器を割っても、割れちゃったと、受け入れられるようになり、新しい食器を買えるのが、嬉しいくらいです。
多分、高価な食器や高価なヴィンテージのモノがないので、それほど執着しないで済むのかもしれません。
今一番のお気に入りの、ムーミンカップを割ってしまったら?
これは大丈夫、新しいのを買って、諦められます。
レアなファイヤーキングキングではありませんが、割ってしまったら?
やっぱり、ちょっとこれは、泣いてしまうかもしれません。
手に入る可能性があることが、食器を割った時に嬉しくなれるかどうかを、分けるところです。
ファイヤーキングを割っても、笑って済ませられるようになったら、仙人レベルです。
まだまだ、修行が足りません。