(前回からのつづきです)
この公演のDVDですが、鑑賞し終えてから実は2週間くらいが経過しています。
現在は2つめの予習「グラインドボーン公演のフィガロの結婚」の第2幕まで観たところでストップしています。
わたくしは、仕事から帰っても、自分の自由時間が1時間も無いということが多いため、1日で全幕通してオペラを観るということはほとんど無く、たいてい1日1幕みたいなペースになります。
このザルツブルク公演も、けっきょく4日かけて全部みました。
したがって、幕と幕の間で、仕事をしたり、飯を食ったり、風呂に入ったり、TVを見たりと、ぼ~っと考える時間が多いため、わたくしの鑑賞日記はどうしても妄想だらけ になりがちであるということを、前もってどうぞご了承ください。
しかも、2週間も経過しているので、細かいところは忘れてしまっています。。。
さて、このグート氏の演出では、時代設定をおそらく現代かそれに近い時代に移されている と思われます。
第1幕の舞台は、本来これから新婚生活をおくることになるフィガロとスザンナの部屋という設定なはずですが、この舞台装置は、なんだか階段の だだっぴろい踊場のような感じで、独立した部屋という感じではありません。
第1幕は、伯爵夫人以外の主要登場人物がほとんど出てきますが、スザンナとフィガロ以外は、そもそもこの部屋に居ては不自然な人物であるため、いろいろな騒動が持ち上がることになります。
この舞台では、部屋、という感じがしないため、そのへんの演出はどうしてもあいまいになります。
使い回すためか、あるいはグート氏がそういう本来の設定をここでは無視しているということなのでしょう。
無視しているとすれば、どういうことなのでしょう。
観ていると、この登場人物たち(もともとの設定は、この地方の領主の館、登場人物は貴族とその使用人たち)
は、本当にここに住んでいるのか?、どうもそんな感じがしないな~というふうに思えてしかたありません。
もうひとつ気になることは、人物たちの仕草に現実感がうすい ことです。特に誰かがアリアを歌っている間、同時に舞台上に居てアリアを歌う番ではない人物たちが、揃いの身振り手振りで並んで踊っていたりします。
たとえば、スザンナが歌っている間、伯爵とフィガロが踊っていたり、ケルビーノが歌っている間、伯爵夫人とスザンナがせくしぃなフリで踊っていたりします。
伯爵夫人が身をくねらせていたら、それは欲求不満の表現だろうと受け取ることはできますが、新婦のスザンナに同じことを求めるのは、無理があります。
登場人物の仕草やフリは、それぞれの心理表現の一部と受け取るのが普通だと思いますが、ここではそれだけではないようです。
アリアの歌詞に対して、演出家が提示するひとつの解答なのかもしれませんが、それでは難解すぎて、わたくしには一度観ただけではとても読み解くことが出来ません。
そこで、妄想の出番となりました。
彼らの揃いの身振り手振りを観ていて、わたくしは、彼らは何か大きな力によって操られている存在なのではないか、と思いました。
それには、あのイケメン天使くんが一役買っているようです。かれは、とにかくしょっちゅう舞台に姿を現して (けっこう うっとおしい) なんかやっているのですが、ときにハンドパワーで彼らを動かそうというマイムをやったりしているのです。
では、その何か大きな力というのが、この天使くんによるものなのかというと、そうではないように見えます。
生活感のない舞台装置にしても、なんか変です。
調度品といったものが何もなく、薄汚れていて、壁際には、落ち葉がたくさんたまっています。左側に開け放たれた窓があり、白い無地のカーテンがかかっているだけです。
階段のところには、カラスの死体とおぼしきものが落ちていたりします。
カラスといえば、第2幕では、その左側の窓のところに、カラスのフィギュアが3体配置されます。窓辺に留まっているのとか、羽根をひろげて飛び込んできたところのようなのとかですが、フィギュアですから、動きは止まっています。
まるで、この館は、廃墟のような感じです。
かれらは、その何か大きな力によって、もともと住んでいたところから、この廃墟とおぼしき館へ、集団で運ばれてきた存在なのではないか と思えてきました。
たとえば、次元転移装置のようなもので。
この館のなかでは時間が停止しているのかもしれません。
カラスが動かないのは、それが単なるフィギュアだからというのではなくて、この館の中だけ時間が止まっているからなのです。
もともとこれは、フィガロとスザンナの結婚式当日の朝から夜までの物語、という設定ですが、左側の窓からは、ときおり朝の光のような強い光がさすこともあれば、夕方のようにオレンジ色になることもあるし、暗くなることもあります。
館の外では、普通に時間が進行しているかのようなのです。
こう思いついてから、妄想がさらにどんどんふくらんでいきました。
この廃墟には、かつてはやはり貴族一家のような人たちが住んでいたのでしょう。
それがなんらかの理由で、この館は捨てられたものと思います。
その理由とは、なんでしょう?
もしかすると、この伯爵一家のように、恋愛だの不倫だののもつれが、収拾のつかない大騒動となり、ついには一家が全員死に絶えるほどの、惨殺事件にまで発展したのかもしれません。
あの天使くんは、「愛」を司る神のもとにいる「愛の天使」たちの一人なのかもしれません。
人間という愚かな生物たちは、もともとは素晴らしい力をもつ「愛」というものの使い方がたいへんヘタなので、ある一家に不倫騒動が持ち上がったときに、「愛の神」によって、ある一人の「愛の天使」がつかわされたのです。
彼は、ハンドパワーだの、リンゴだの、白い羽毛だのといったアイテムを駆使して、その一家たちに愛のすばらしさ を教えて、本来あるべき関係に修復しようと努めますが、失敗し、凄惨な集団殺人事件という結末を迎え、華やかだった館は、廃墟となりました。
その「愛の天使」は責任を問われることとなりました。
彼は、なぜ失敗したのか。
それはもしかすると天使の身分でありながら、人間の女性につい「恋」をしてしまったせい なのかも、しれません。
そこで、同僚の、(あるいは先輩の)天使くんが見本を見せることになりました。
神の力によって、放っておけばおなじような騒動がおこりそうな(現代の)一家を、かつて事件があって今は廃墟となっているこの館に集団で転送してきて、芝居をさせることにしたのです。
そして、あの失敗した天使は、罰として羽根をとられ、ここの使用人の一人に転生させられたのです。それがケルビーノです。
イケメン天使くんは、この転送させられてきた一家に、騒動の種となるよこしまな恋愛感情をまず増幅させます。
彼らは思ったとおり、どたばたの騒動を始めます。
象徴的なのは、第2幕で、イケメンくんがハンドパワーで、壁一面に登場人物の相関図のようなものを浮かび上がらせたりする場面です。
イケメンくんは、ケルビーノに見せつけるように、愛の持つ素晴らしい力、たとえば親子愛であったり、信じる心であったりを駆使して彼らを導き、よこしまな伯爵を懲らしめようとします。
しかし、ケルビーノは、失敗にも懲りず、人間の女性に恋する気持ちを捨て去ることがどうにもできません。
一方、イケメンくんは、第4幕の冒頭で、哀しそうに膝をかかえて座り込んでいます。
ここがよく解せません。
思ったほどはうまくやれないなぁ、人間という生物はなんとやっかいなものか、そんな感じかもしれません。
しかし、策略は結局うまく図にあたり、伯爵は悔悟し、全員が愛のすばらしさを高らかに歌い上げて、この芝居もおしまい、となるはずでした。
イケメンくんは、さいごの重唱が歌われ始めると、満足した表情で窓から飛び去ろうとします。
ところがそのとき、人間たちがそれぞれ勝手に動き始めます。
それまで、たとえば伯爵とかがときにイケメンくんのハンドパワーに抗うような動きを見せたりするのも、彼らがまだ本当の愛を知らないからでした。
本当の愛を知った今となっては、かれらは天使の操るままになるはずでした。
ところがそうはいかなかったのです。
イケメンくんは、なんとかまた操ろうとしますが、無駄でした。とうとう、なんてぇこった、とでもいうような表情を浮かべて諦めて帰ってしまいます。
その瞬間、ケルビーノだけが、まるで糸でも切れたようにその場に倒れ込み、照明が落ちて幕となります。
オペラは終わりましたが、その後、彼はどうなったのか。
ケルビーノが気がついたとき、周りにはもう誰もいなくて、彼だけが一人取り残されていたかも知れません。
廃墟は元の時代に戻され、ケルビーノはこれから、新しい人生を歩むことになりました、、、とか。
このケルビーノが成長した姿が、いわゆる、ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファン)だ、という説もあるそうです。
・・・
いかがでしょう?
まぁ、我ながら ひどい妄想 だなと思いますが。。。
グート氏の演出意図がホントウはどうだったのか、とても気になるところです。
誰か聞いてきてくれませんかね。。。
・・・
長くなりすぎたので、あとは簡単に。
ネトレプコ様の歌は、最初この人はモーツァルトに合わないのではないか、などと思ったりしましたが、聴いているうちに とても素晴らしい と思うようになりました。今まで聴いたネトレプコの歌の中では、これが最高かも知れません。(そんなにたくさん聴いているわけではないんですけど)
しかし、それよりも、私にはやはりシェーファーの歌が絶品だったと思います。
それに、彼女に半ズボンを着せて男性役をやらせるというのは、とてもマッチしたキャスティングだと思います。
ここではもう詳しくは書きませんが、いずれ、かつて観た「ヘンゼルとグレーテル」や「ルル」の感想を書くことがあったら、(「ヘングレ」の感想はかつてmixiに書いたことがありますが)、そのときに言及したいと思います。
また、収穫だったのは、イルデブランド・ダルカンジェロというバス歌手を知ったことです。
すっかりお気に入りになりました。
シェーファーとダルカンジェロは、同じ年のザルツブルクで、『ドン・ジョヴァンニ』にも出演しています。
近いうちに観たいなと思います。
マルチェリーナ役の人は、NHKの表記では、マリー・マクロックリンとなっていますが、この人は、マクローリンとわたくしが理解していた人と同一人物ですかね?
だとすると、かつてグラインドボーンでミカエラ役を観たことがあるのですが、とてもきれいな人です。
「椿姫」の外題役でも有名な人ですよね。
歌もきれいでした。
また、短いけど素晴らしく印象的なアリアを聴かせるバルバリーナ役も、よかったです。
※モーツァルト
歌劇 『フィガロの結婚』
アルマヴィーヴァ伯爵 : ボー・スコウフス
伯爵夫人 : ドロテア・レシュマン
フィガロ : イルデブランド・ダルカンジェロ
スザンナ : アンナ・ネトレプコ
ケルビーノ : クリスティーネ・シェーファー
マルチェルリーナ : マリー・マクロックリン
ドン・バジリオ : パトリック・ヘンケンス
ドン・クルチオ : オリヴァー・リンゲルハーン
バルトロ : フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
アントニオ : フロリアン・ベッシュ
バルバリーナ : エヴァ・リーバウ
指揮:ニコラウス・アーノンクール
ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィーン国立歌劇場合唱団
演出:クラウス・グート
2006年7月 ザルツブルク、モーツァルト劇場
(2006年、ザルツブルク音楽祭)
よけいなひとことになりますが・・・
世界中で何人いるか、一人もいないのかわかりませんが、
この公演で初めて『フィガロの結婚』を見たという人がいるならば、
その方は不幸だと思います。。。
いろいろ考えることができたのは楽しかったですけどね・・・
にほんブログ村