「敵役」って大事ですよね。
主役を際だたせる役目としても重要ですが、時には主役を食ってしまうことだってあります。
私にとって、「アムネリス」はそういう存在です。
主役の「アイーダ」よりもこの人の方が好きなんです。
わたくしが「ラダメス」なら、躊躇なくこの王女様と結婚しますが・・・
今回観たのは、定期購読しているデアゴスティーニから送られてきたヴェルディの『アイーダ』。
白状しますと、この大名作を私が観るのは今回が2度目となります。
前回のはヴェローナ公演のやつでしたが、だいぶ前になるので記憶はあやふやながら、
そのときのアムネリス役はコッソットで、これが素晴らしかったのでした。
今回のは、サンフランシスコでの公演。
ラダメス役はパヴァロッティ、アイーダ役はプライス。
この2人の歌を聴けるだけでも、これは価値ある一枚といえそうです。
らくらくと歌い上げるパヴァロッティはさすがだし、プライスの歌も、深みのある味わい深いものでした。
お金がかかっていそうな舞台装置もすごかったし、衣装もよかったですね。
あの祭司たち(だと思う)がかぶっていた、白い卵型の、帽子のような兜のようなもの、あれはなんでしょう?
黒く塗れば、まるでエイリアンの子供のような・・・
演出は、サム・ワナメイカーという人。
セットがしっかりしているので、あまり手の込んだことはしなかったような感じ。
可もなく不可もなくといったところですが、しかし、ユルいな~という感じは否めません。
ほんのちょっとした手先の動きでも、感情表現ってできると思うのですが。
いや、その時々の感情表現というよりは、問題は、キャラクター設定でしょうか。
たとえば、アムネリスの魅力は、その「ツンデレ」さにあると思うので、もっとツンツンしてくれてたほうがわたくし的には萌えます(笑)。Mではないけど。
その方が、第4幕で、彼女が心情を吐露する場面や、幕切れでの彼女の祈りの言葉も、より魅力的、感動的になると思うのです。
というのも、最後の、アムネリスが地上で愛するラダメスに安らかにと祈るシーンでは、地下ではそのラダメスがあの憎っくきアイーダと抱き合ってるわけで、当然アムネリスは知らないわけですが、そのことをただアイロニーとだけでしか受け取れないのでは、つまらないというわけです。
それというのも、アイーダが、あの墓所に潜入できたことも、そもそも不自然だと思うからです。私は、オペラの設定とは無関係に、背景とかをあれこれ想像するのが楽しいので、ついいろいろ考えてしまうのですが、この場合、ラダメスは、いやしくも一軍を預かる将軍なわけですから、彼を敬愛する幕僚や兵士がいたっておかしくないし、彼ら陪臣たちの何人かでも、取り返して共に亡命しようと企むことだってあり得るし、それに、ラダメスは反逆罪として処刑されるわけですから、敵であるエチオピアが特殊工作員でも送り込んでラダメス救出を目論むであろうということだって、当然想像できるわけです。
警戒は厳重にする必要があります。ましてや、アイーダは指名手配中の身なわけだし、近づくことすら困難であったでしょう。
それにそもそも、アイーダはあの場所にラダメスが生きたまま埋められると、どうして知ったのでしょう?私が警備担当なら、まず、処刑の場所は秘密にします。
こう考えてみると、わたくしには、「アムネリスがアイーダをあの場所に導いた」、としか考えられないのです。登場人物以外に想像はできないですから。
第4幕の1場と2場の間に、この二人のやりとり があったと、私は考えたいのです。どんな会話があったのか。火花の散るほどの激しいやりとりだったかもしれませんし、そうでもないかもしれません。アイーダは、ラダメスの無実を訴えようとしたでしょう。アムネリスは、「もう遅いわよ! 」と叫んだかもしれません。
それでも、彼女は、同じ男を愛するものとして、最後には、ラダメスと一緒に死にたいというアイーダの願いを叶えてやる気になったのでしょう。とうとう最後まで自分になびかなかったとはいえ、それでラダメスが少しでも安らかに死ねるのならば、と。
そんな視点をもって、最後のアムネリスの祈りの歌を聴いてみると、いろいろ複雑な思いを抱きながらも、ただ祈るだけしかない彼女の心情が、とても痛ましく、また愛らしくも思えてくるのです。
この人はただ傲慢なだけの王女様ではなく、ファラオの娘という立場で育てられたがゆえに、身分の低い相手には強圧的になることもままあるけれど、生まれつきの心の奥底には、アイーダにも負けないほどの清らかで愛らしいものを持っていたんだな、とそう思えてきます。
このことを、私は初めて見たヴェローナ公演で、そう感じさせられたわけですが、それが、演出家の意図としてそうであったのかどうなのかは、覚えていません。しかし、少なくとも今回のこの演出では、そういう感動を味わうには、不十分でした。
また、以上の文章で、第3幕とか第4幕というのは、通常の幕割りに基づくものです。
この公演では、「演出家の意図」として、第1幕と第2幕の計4場を一緒にして第1幕としています。したがって、第3幕は第2幕、第4幕は第3幕と表示されます。
わたくしは、この「演出家の意図」を一生懸命考えてみましたが、てんで分かりませんでした。
通常の第1幕と第2幕の間には、設定上は、おそらく1週間か10日くらいの、時間の経過があるはずです。その時間の感覚が壊されるわけですが、それを補ってあまりある「意図」があるならば、それはなんだったのでしょう?
一つ言えることは、この4場を続けて演奏することで、音楽が、まるで一つのシンフォニーのように聞こえることです。第4場が、まるでシンフォニーの壮大なフィナーレのように聞こえてきて、見事です。
ただ、そのため、バランス的に、残りの2幕が軽く感じてしまいます。終幕の感動がうすく感じてしまったのは、そのせいもあるかもしれません。
それぞれの歌については十分楽しめました。
アムネリス役を歌ったのは、ステファニア・トツィスカという人で、ルックスはもうアムネリスにぴったりですね。高音がきれいで、その分低音部分になると、すこし弱くなるような気はしますが。
でも素晴らしかったです。最後のカーテン・コールでの、この人への拍手は、パヴァロッティにすら負けてなかった と思います。アムネリスファンとしては、嬉しかったですね。
アモナズロのサイモン・エステスもよかったです。
こちらもルックスはぴったりで、観ているこちらとしては、「アモナズロのバカめ!」とホントに怒りを覚えてしまうほど、見事でした。
第3幕(第2幕)幕切れ近くでの、ラダメス、アイーダ、アモナズロの三重唱は、迫力満点で、圧巻でした。
※ヴェルディ
歌劇『アイーダ』
アイーダ:マーガレット・プライス
ラダメス:ルチアーノ・パヴァロッティ
アムネリス:ステファニア・トツィスカ
アモナズロ:サイモン・エステス
エジムト王:ケビン・ランガン
ランフィス:クルト・リドル、ほか
指揮:ガルシア・ナバロ
サンフランシスコ歌劇場管弦楽団、合唱団
演出:サム・ワナメイカー
1981年、ウォー・メモリアル・オペラにて
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