いま、テレビのニュースショーは

野球と気象情報ばかり。

とりわけ大谷選手の話題にどの局も

大きな時間を割いている。

「裏金」や「統一教会」あるいは能登半島地震、

ひとの暮らしの困窮ぶりを

もう少し取り上げ、考えることがあってもいいのではないか。

マスコミがマスコミの役割を放棄している気がする。

(と言いながら、大谷選手のことが気になり、

写真=ホームランキング記念切手まで買って

踊ってしまっている私である・・)

 

 

句集「百年の家」からランダムにピックアップしてみた。

 

 月の村脱腸の人いるような 坪内稔典

 

 秋日和わが尾伸びているような

 

 紅葉散る恋人が今来たような

 

 柿たわわきれいな嘘があるような

 

 落葉踏む昨日の秘密踏むような

 

「ような」という語尾で終わる作品がとても多い。

この句集からの表現ではないだろうか。

坪内稔典調とも言える手法である。

ふつう「ような」の後は体言である。

なので、この「ような」の後には

何かしらの体言がつづくはず。

これらの句を何度も読んでいると

「ような」の後はもう一度、

上五に還っていく感じがする。

「ような」で句のループができている。

俳句が際限なく繰り返される。

飛躍かもしれないが、そういう詩の作り方、

それが坪内稔典調なのではないか。

 

つい2,3日前は春の陽気だったのに

今日は冬へ戻っている。

こんな日は気持ちが荒んでくるような。

まとまりのない思考の日です。