坪内稔典氏の第6句集「百年の家」
1993年の刊である。
「私は、俳句から呪性や神秘性などを退けようとした。
多くの俳人たちは、五七五の背後を重視し、俳句は氷山
のようなものだという。つまり五七五は氷山の水面上の
一部であり、水面下に大きなものがかくされていると
考えるのだ。」
「俳句は表現されている五七五の言葉がすべてなのだ。
もしそれがあまりにも片言的だとしたら、その片言的な
ところに俳句の特色があると言うべきだ。」
長くなったが、この句集のあとがきからひいてみた。
前段は俳人の境遇や生き方などで五七五が解釈されること
の間違い、違和感を唱える氏の考えにつながる。
後段はこの句集の前に出版された氏の評論集
「俳句ー口誦と片言」の主張を繰り返したものである。
せりなずなごぎょうはこべら母縮む 坪内稔典
ほとけのざすずなすずしろ父ちびる
この2句はまさに口誦を具体化した作品である。
私が七草の名前を覚えたのはこの2句からである。
若い頃、この句をリズムをつけて唱えながら、
スパーに七草を買いに行ったこともある。
ああ、これが口誦性かと納得をしたものだ。
さすがに下五の「母縮む」や「父ちびる」は
カッコウが良くないので勝手にその時の気分に
変換していた。
調子よく気分にあわせて、言葉を口ずさむ。
口誦性とはそういうことだろう。