びわ食べて君とつるりんしたいなあ  坪内稔典

 

「老いの俳句」の副題はこの句から取られている。

坪内稔典氏はこの句について

「80歳近い老人になってつるりんしたら危険じゃないか、と言われました。」

と書いている。

 

先日、句集「落花落日」を紹介する中で

 

 坪内氏、おだまき咲いて主婦を抱く

 

この句には「眉をひそめる人がいた」と書いた。

「つるりんしたいなあ」と同じ類の危険が備わっているから

眉をひそめた人がいたのだ。

坪内稔典氏の戦略のひとつは

話題になることが俳句には必要ということ。

つまり坪内稔典氏の「口誦性」を具体的に

示そうとしている作品といえる。

もちろん、この「危険」が口誦性のすべてではない。

 

昨年はどういう訳か俳句の本を、句集も含め

かなりの数読んだ。

俳句の本ばかり読んで過ごしたと言っても過言ではない。

そんな俳句本の中で

「老いの俳句」が最上であった。

 

第一章では「老いの」という名を活かし

多くの俳人をぶった切ったり、褒めたり。

俳句の教則本を買って学ぶより

この本を読む方が俳句の書き方がうんと判る。

第二章では俳句の楽しみ方がいろいろ。

「俳句はでたらめを楽しむ」という締めが

とても響いた。

例えば、よく「季語が動く」と句会などで言う。

それに対し、「季語は動くもの」とした結論。

なんと爽やかなことか。

 

こう書いてくると「老いの俳句」は

教則本以上に教則本、みたいな印象になるが

決してそうではない。

坪内稔典氏が「片言」「口承」あるいは「過渡の詩」など

長年訴えてきたことが

判りやすくまとめられているように思う。

俳句は何かと思う人、ぜひとも読んでいただきたい。

 

最後に、私は究極的に「口誦性」については

アタマのスミのところで

どうなんだろう?と思っている部分がある。