最近は六時半頃、朝の散歩をする。
日の出が早く、起きるのが早くなる。
散歩道のあちこちで紫陽花に出会う。
今年はこの花が咲くのが早い。
こんなに早くここに登場していいのか。
紫陽花は珍しくもなんともない。
でも、早咲き?の気がするから
珍しいと感じる。
こんな理屈をこねまわして
朝の散歩のアタマをまぎらわす。
六月に流れ着きたい岸辺 がある きむらけんじ
毎日洗う顔がだんだん古くなる
きむらけんじさんとしては
かなり抽象的な句である。
「六月に流れ着きたい」の「六月」とは
何だろうか?
七月でも八月でもない六月。
一方の「古くなる」顔とは誰の顔?
自分?同居人?イヌ?ネコ?
こんなことを考えながら
ああでもない、こうでもないと
作品を鑑賞する。
鑑賞の答を出すのではなく
鑑賞の幅を広げる。
それが俳句の難しさ。
書き方、作り方ではなく
読み方次第で楽しくも、難しくもなるのである。
上の二句は「あしたも世間はややこしい」からひいた。
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