ヤマボウシの花がびっしり咲いている。

事務所の近くなのだが

例年、きれいに実を付け

赤く熟れるまで見逃せない。

ハナミズキに似ているが少し違う。

 

 

 海鳴りに鼻の大きな家族かな  坪内稔典

 

 古代から今来たばかり睡蓮は

 

 炎天を来てかたばみの花へまず

 

何年頃の作だろうか。

カルチャーの生徒さんと一緒に出した

アンソロジー「エスタシオン」からひいた。

注目は1句目の切れ字「かな」である。

 

坪内稔典はある時期から

「切れ字」の「や」「かな」「けり」・・などを

使わなくなった。

併せて「現代仮名遣い」で表記するようになった。

そういう宣言もしている。

 

余計なことだが私もこういう「切れ字」は使わない。

その根底には「現代語」で俳句を書くことにある。

いま、現代で使われている日本語で

俳句は書くと決めているのだ。

わざわざ俳句のために旧仮名遣いはしないと

言った方が正しいかも知れない。

注意しなければならないのは「古語」を

使わないということではない。

「古語」も現代社会で多く使われている。

これは当然、使っていく。

これは私の思いだが、

坪内稔典もきっと近いと思う。

 

で、1句目に「かな」が出ている。

この時は、そういう言葉遣いへの

厳密な取り決めをしていなかったのだろう。

珍しい表記なのだ、この句は。

 

俳句は今日も新しくなっている。