山椒の木を見つけた。

中学校の外塀の誰もが見逃しそうな場所で

青々と繁っていた。

1枚、葉を取って匂いを嗅ぐと

すっきりした空にぴったりの香りが広がった。

 

 

 向日葵に平時を知らす鳩時計  赤石忍

 

 パトカーの後部座席に鶴が居る

 

 散骨は牡蠣の美味しい季節にて  近江文代

 

 蛇衣を脱ぐ日の帯状疱疹

 

 部屋ごとに老人がいる一茶の忌  三宅やよい

 

 老犬の顎が外れる永き日を

 

「猫街」5号を読むとタイトルをつけたが

正直なところ読めていない。

難しいのだ。

ここに挙げた3人の方の2句。

これを読むのにも四苦八苦である。

俳句ってこんなに難しいのか、と

改めて思ったのである。

 

作者の独断、俳句だけでなく詩でも絵でも音楽でも

独断が相当に含まれているはずなのだが

それに読む人、今回は私の

感性がついていけないのだ。

辛うじてここに挙げた作品に

感性は呼応出来たかも知れないが。

 

感性が応えられないので

私は、読み手は感性をどんどんと叩き起こしたりする。

その刺激がとても気持ちいい。

だから、この「猫街」を読んだとき

私は私なりに悔しくて

古びた、さび付いた感性に呼びかけて

新しい作品を書きたいと思った。

励まされた気がしたのだ。

 

私の思い込みかも知れない。

でも、パワーをもらったよ。

ということで、「猫街」5号を

もう一度読み進める。