時々晴れ間が見える今日。

印象としては曇り空。

垣根越しにこの赤い花を見つける。

花?実?

いつも可愛いなあと思ながら

通り過ごしてしまう。

花の名はウキツリボク(浮釣木)。

年中咲いているらしい。

 

 夕焼け助奏の 風鳴る 近親婚の村  摂津幸彦

 

 潮焼け漁夫の 歯がない 民家兼バス停

 

「現代語俳句の会」機関誌「俳句思考」からひいた。

昭和43年10月の発行である。

この二句は「アバンセ」2号にも掲載されている。

摂津氏がたぶん、関学大3年生の頃である。

 

同じ誌面に私の

 ドラマどっさりつめ 大学街の暇な午後

この句も掲載されている。

 

摂津幸彦史を書こうとしているのではない。

どういう学生時代、初学の頃を経て

摂津俳句が生まれたのか。

その頃を知る人も限られてきたので

ほんの、ほんの一端を紹介したかったのだ。

 

昭和43年はその頃の学生にとって

大きな転機の時であった。

4年生であった私は俳句から離れ

大学闘争の中へ入っていった。

摂津氏は大学院生の坪内稔典氏らとともに

「日時計」等で俳句を書くことになる。

 

1年後、摂津氏は広告会社に就職する。

私は数年後、遠回りをしながら

別の広告会社に入社した。

数年後、偶然に広告マン同士として巡り会う。

 

何度かここに登場した馬場善樹氏は

広告制作会社のコピーライターとして

摂津氏と私に会うことになる。

 

本当はそこらの事情も書きたいが

テーマに外れるので今回は経緯のみを紹介する。

 

摂津氏の上の二句。

摂津調の香りがする。

しかし、解釈は難解である。

 

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