浜木綿の花が次から次へと咲いている。

満開になると、花の房が重いので

茎が支えきれなくて

地べたへそのまま倒れていく。

そこで実を付け、やがてそのいくつかが

翌年、芽を出す。

浜木綿の「繁殖」である。

植物の「繁殖」の仕方は個性的でとても面白い。

 

 

 枇杷熟れてズボン一本逆さ吊り  坪内稔典

 

 黒猫は黒のかたまり麦の秋

 

 木にもたれ木にもたれられ八月は

 

 五人来て五人ばらばら百日紅

 

 枇杷咲いて寺田寅彦的日和

 

「水のかたまり」の

ボクの好きな句をランダムにひいた。

 

この頃、坪内氏は取り合わせを発揮することに

注力しているとあとがきにある。

 

「枇杷咲いて」「寺田寅彦的日和」は

その典型ではなかろうか。

この句はずっと気になっていて

ボクはこんな句を書いた。

 

 テーブルに寺田寅彦出目金も たかし

 

寺田寅彦と出目金の取り合わせ。

どうだろう。

 

毎日暑くて、寝苦しい。

夜中によく目が覚める。

そのせいではないが目の調子が悪く

PCを見たり、PCで書いたりするのを

控えめにしている。

暑さから梅雨に逆戻り。

家の近くの蓮池に

立派な睡蓮が咲いている。

睡蓮までの距離が少しあるので

スマホでの撮影は難儀した。

 

 風光るケープタウンの窓もだろう 坪内稔典

 

 多分だが磯巾着は義理堅い

 

 七月の水のかたまりだろうカバ

 

 万年の水のかたまり夏の河馬

 

とくに愛着を覚えた4句をひいた。

 

まず、「風光る」は仕事で1句を

お願いしたときに書いてもらった句。

いきなりケープタウンが出てきてびっくりした。

主宰する「窓の会」の根拠のひとつは

ここにあるのではと想像したりする。

 

2句目は、この決めつけ感に

読者は納得させられ

多くの人に愛唱されている作品。

磯巾着が馴染みになりました。

 

この2句の口語体は詩の一節かとも

思ってしまう。

 

この句集のタイトル「水のかたまり」とは?

その答が3,4句目にあった。

やっぱりカバは水のかたまりなのだ。

 

この句集の坪内稔典氏は平明。

作人が判りやすくていい。

7月、いきなり夏である。

エアコン全開で水が垂れてきた。

この句集に水が落ちて表紙がボコボコ。

 

 春暁のころがっているねんてん氏

 

 父と子ところがっている桜雨

 

 磯巾着になろうか昼をころがって

 

 ころがって朱欒と猫とあの野郎

 

いきなり「ころがって」から入った。

この句集、楽しい、好きな句がたくさんなのだが

楽しさのひとつは「ころがって」の類いが

たくさん出てくるからかもしれない。

 

「ころがる」「ごろり」「転ぶ」「ごろ寝」「ころがして」

といった句も出てくる。

だからどうなんだ?特別な意味はない。

俳句は緊張感が必要とか堅苦しいといった

思い込みをほぐしてくれているのではないか。

いつも苦虫噛んでいなくてもいい。

リゴリズムでなくてもよい。

俳句の面白さを広げ、実践しているのではないか。

それが坪内稔典氏の俳句であることを

今回は最初に伝えたかった。

 

「水のかたまり」は前句集「月光の音」から8年後に世に出た。

その8年の間に

「坪内稔典句集(全)」が刊行され

そこに「高三郎と出会った日」という未完句集が掲載されている。

そして、この「水のかたまり」とほぼ同時に単独で

改めて刊行されている。

アルバム収録曲を改めてシングルカットする、

昔風に言えばそういうこと。

坪内稔典氏は「高三郎に出会った日」が第10句集で

「水のかたまり」は第11句集ということにしている。

 

そういう事情は別にして

カドの取れた坪内稔典俳句が

「水のかたまり」では楽しめる。

 

 

 

事務所のそばにあるホテルのヤマボウシ。

毎年この時期に(6月28日撮影)満開になる。

他より少し遅い気がする。

秋になるとこの花が真っ赤な実になる。

ときどき1,2個採って食べたりする。

今日から7月。

今朝もこのヤマボウシを見ながら事務所へ来た。

 

 波音が月光の音一人旅 (一九九九年)

 

 ねむの咲く音して谷の青い空 (二〇〇〇年)

 

 海の日の海の音してラジオかな (二〇〇〇年)

 

 炎天を引きずる櫂の木の音よ (二〇〇〇年)

 

全国の河馬 一九九九年

桜とハイヒール 二〇〇〇年

 

この2つの章の「音」の句をひいてみた。

「波音が」はこの句集のタイトルとなった句だが、

前句集「ぽぽのあたり」にもこんな句がある。

 

 月光の折れる音蓮の枯れる音

 

坪内稔典氏、「音」とりわけ「月光の音」が気に入っているらしい。

 

 ふわふわの闇ふくろうのすわる闇 (一九九九年)

 

 月のぼる砂にまみれて肥後の守 (二〇〇一年 カンパネラ)

 

そして、この2句は忘れてはならない。

ボクの愛唱句なのだ。

 

 

 

どんよりと曇った梅雨の散歩道で

偶然見つけたアマリリス。

この強烈な赤に世界は圧倒される。

 

 てのひらにかたつむりのせ市内バス 坪内稔典

 

 ぽーがいてぽぽーもおるか谷の春

 

 口あけて全国の河馬桜咲く

 

 横ずわりして水中の秋の河馬

 

 なっちゃんもてっちゃんも河馬秋晴れて

 

全国の河馬 一九九九年という章からひいた。

 

お馴染みの河馬の登場である。

このあたりからか

坪内稔典といえば「河馬」というのが

定着したのは。

これ以後、普通に「河馬」の句を書くには

勇気がいるようになった。

 

この河馬の三句をみても

河馬が板についている。

当初は「水中の河馬が燃えます・・・」だったのに

ここでは「横ずわりして」いる。

これ以上、解説すると気が萎える。

 

ボクは「ぽーがいてぽぽーもおる」という不思議感が好きだ。

前句集の「ぽぽのあたりが火事ですよ」を踏んでいて

それを発展させている感じ。

坪内稔典氏はいつも冒険者である。

どんどん新しい試みをボクはフォローしていきたい。