Merhaba ライターのZonです

 

 

 

 

今日もオスマン帝国外伝関係のネタです

 

 

シーズン4の放送が日本でも始まり、いよいよスレイマン大帝の後継者争いが激化していますが…

 

 

 

 

メフメト皇子が亡くなり、ムスタファも処刑され、ジハンギルも病気で死亡…となると、残るはセリムとバヤジット。今回はバヤジットについて、ちょっとご紹介したいと思います。

 

 

 



※2021年7月追記

新オスマン帝国外伝キョセム

シーズン1の最新記事はこちら

https://tripnote.jp/m/istanbul/sightseeing-spot-of-new-magnificent-century-season1











 

 

 

 


※セリムの壮絶?なる運命については

こちらをご覧くださいませ👇


https://tripnote.jp/m/turkey/sightseeing-spot-related-to-selim2









 

※バヤジットの最期(亡くなるところまで)書くので、以下、読むのは自己責任でお願いしますグラサン

 

 

 

 

 

バヤジットはオスマン帝国のトプカプ宮殿で1525年に生まれました。父はスレイマン大帝、母はヒュッレム・スルタンです。

 

 

 

 

オスマン宮廷の習わしで、大きくなった皇子はマニサやコンヤ、キュタフヤ(キュタヒヤ)、アマスヤなどの地で皇帝の座に就く前の修行のようなものをします。そこにはちゃんと宮殿やハレムもあるのですよ。

 

 

 

 

バヤジットは、キュタフヤに赴任していましたが、1553年、スレイマン大帝の12回目の遠征のとき、バヤジットはルメリア州(オスマン帝国のヨーロッパ方面の領土)のエディルネを見守っているように任されます。この頃はスレイマン大帝からの信頼がまだありました。この遠征のときに、異母兄弟の兄、ムスタファが処刑されるのです…

 

 

 

 

ムスタファの処刑と同年に弟のジハンギルも亡くなるので、ここからはバヤジットの敵は兄のセリムひとりとなります。

 

 

 

このとき、バヤジットの赴任地はキュタフヤ、セリムの赴任地はマニサ。キュタフヤもマニサも、帝都イスタンブールにはほぼ同じ距離でした。(帝都からの距離が問題になるのは、オスマン宮廷の習わしで、スルタンが崩御したあとに先に帝都に入った者が次のスルタンになる、というものがあったからです)

 

 

 

 

スレイマン大帝が60歳を超え、いよいよ次の世代が近づいてきたか…という頃、バヤジットとセリムの争いは目に見えて明かなものになっており、これにはスレイマン大帝もさすがに悩んでいたよう。そこで、二人の赴任地を帝都イスタンブールからより遠い所へ変更します。

 

 

バヤジットはアマスヤへ、セリムはコンヤへ。

 

 

このとき、セリムはスレイマン大帝の命令に素直に従いました。しかしバヤジットは渋々…といった感じで、スルタンの決定にすんなりとは従わなかったのです。

 

 

これをきっかけに、バヤジットはスレイマン大帝からの信頼を大幅に失い、スルタンに対する反逆者とみなされてしまうことになるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黙って従ったセリムは、スレイマン大帝の信頼を得て、1559年のコンヤの戦い(セリムvsバヤジット)では、のちに大宰相となるソコルル・メフメト・パシャと手を組み、スレイマン大帝からの援軍を率いてバヤジットをやっつけます。

 

 

 

 

 

 

惨敗のバヤジットは、赴任地アマスヤに戻ったのち、(オスマン帝国とは複雑な関係にある)サファヴィー朝に亡命!!!!!!!(これがまたまずかったよなぁぁぁいま思うと)

 

 

 

 

タブリーズではシャー(王様)のタフマースブ1世に盛大にもてなされて受け入れてもらえることになりました、が、のちにスレイマン大帝の要望を受け、バヤジットを投獄します。スレイマン大帝はサファヴィー朝に何回にも渡って大使を派遣し、バヤジットを帝都イスタンブールに明け渡すように交渉します。そのためにタフマースブ1世に結構な量、金額の貢物をしたといいます。

 

 

1561年9月25日、ついにバヤジットと4人の息子はタフマースブ1世から解放されて、その帰路で、カズヴィン周辺でオスマン帝国の死刑執行人に殺されました。鉄環絞首刑だったそうです…殺されたのは、バヤジットと息子のオスマン、オルハン、アブデュッラー、マフムト、10月3日にはもう一人の息子メフメトがブルサで殺されました。

 

 

 

後継ぎとなりうる皇子の子息も殺しておくのは、のちにスルタンとなったものの脅威とならないためでもあります

 

 

 

 

 

バヤジットの墓は、トルコのシヴァスに置かれています。

 

 

 

 

 

史実は↑こんな感じですが、バヤジットの側女についてはハッキリとしたことがわかっていないので、フーリジハンはもちろんデフネが存在していたのかも全くの謎です。架空の人物でしょうね…

 

 

 

バヤジットとフーリジハン

 

 

 

デフネ・スルタン、ブルサで自殺

 

 

 

 

そんなこんなで、結局バヤジットはスルタンの座に就くことはなく、この世を去ってしまいました。でも、兄のセリムが後を継ぎ、そしてそこからオスマン帝国の皇帝はずっと続いていくんだから、バヤジットの血も入っているしね。。。

 

 

 

 

 

 

 

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宝石ブルー異母兄弟ムスタファが眠る古都ブルサ

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