Things being in loneliness

車両の扉が開き黒い髪が一斉に扉から押し出される。黒い山は流れとなりプラットフォームに溢れ、階段を登り車両へ乗り込もうとする人と交錯する。出ようとする人と乗り込もうとする人。二つの流れは衝突し入り乱れ、もう一度規則的な流れに変わる。

前を歩く人の背中を眺め、同じ方向の流れを捕らえよながら車両へ近づく。塊に流されて閉まり始める扉の中へ押し込まれ、そして飲み込まれる。人々の作る規則的な流れは一つの集団のようにも見えるが、それは個々が集まった物に過ぎない。。

それだけ大勢の人々が同じ方向に向かっていようとも、それは個々の関連性を全く持たないのだ。ぴったりと肌と肌が触れ合っていようとも、そこに繋がりは微塵もない。降車駅が来て扉から押し出されれば、個々はバラバラに散り繋がりは消えてしまう。それが都市の生活だ。

大阪で個室ビデオ店が焼けて大勢の人が亡くなった。状況はどうであれ、亡くなった方へやご遺族に心からお悔やみを申し上げたい。警察の調べでは放火、そして容疑者は逮捕された。マスコミの報道によれば46歳の無職の男だった。そんな男の言動や生活に興味を持った。

容疑者は男女かまわずに彼の部屋へ招待しようとした。また、下着姿で他人の部屋へ訪れたりしている。また、放火について「生きていくのが嫌になり」と語っている。マスコミ等の提供する容疑者の背景から人物像を想像すると。そこに深い孤独の存在が感じられる。

先天的な精神障害というのではなく、後天的に孤独感から生まれた事のような気がしてならない。それは容疑者の年齢にも関係する。容疑者がどういった人生を歩んできたのかは不明だが、46歳までは社会生活を歩んでこられたのだ。少なくとも社会に居て生活基盤を作られた。なんらかの理由でたがが外れてしまったのかもしれない。

自身の生活に照らし合わせてみると、そんな精神の崩壊が全く無関係な事のように感じない。満員電車の中やプラットフォームで感じるの孤独感もその一片だと思し、自分のために料理を造り、一人で食事をする時に感じる孤独感も同じような物だと思う。自分でも危ういと思う事を感じる事だってある。

……とはいえ、そんな孤独感から逃げるために、みせかけだけの繋がりを求めたりしたいとも思わない、それはもっと過酷な事であるのだ。友達もいる、走る事だってできる。現実的には孤独感からの逃げ場所をそんな所へ求めているのかもしれない。

深い孤独はとても危険で恐ろしい。だから人は他人との繋がりを求めたりペットを飼って自分への責務を与えたりするのだろう。一人で生活していると、自分では存在の意義が見えなくなってしまう。自分の存在しない世界が容易に想像できるようになる。

一度外界(社会)とのチェーンを断ち切ってしまえば、そこには容疑者の思うような「生きていくのが嫌になり」そんな心しか残らないのかもしれない……今回の事件をそんな風に感じた。