ここのところ、詩のような散文とブログ(日記)の区別がつかなくなってきた。「物語を書くぞ」と言うような明確な意思がそこにあればいいのだけれど、何気なく「心に留まった事を書いてみようかな」と思って書くと「詩」なのか「記録」なのか区別がつかない。
優秀なるブロガーの皆様がどういう風に考えてブログを書いているのかとても興味がある。もし、自分なりに定義付けるならば、過去の事を(想像で)現在形で書く事は無いから、今(その日)に起った事を書きとめるのがブログ(日付は必ずキーを叩いているその日)で、特定しない日の事を綴るのが「詩や物語」としておこう(よくわからないな)
だから、ブログの時制と物語の時制には当然違いが生まれてくるから書き方も変わってくる。具体的に云えば、ブログには「その日」という属性が文章の中に刻印されているが、物語には明示的に日付を指定しない限り、記録している日は特定できない過去であり、現在であり、将来なのだ。
木曜日の朝の通勤電車は空いている。何故空いているのか理由はわからない。ただ空いているという事実がそこにあり、経験的にその事実を認識しているだけだ。空いている事に文句があるわけでも、歓喜がある訳でもない。それは単なる事実だ。
だから、木曜日の満員電車の扉の間に、誰も立つ人が無く向こう側が見通せたからと言ってその理由が分るはずも無いし、それが自分の通勤に影響する事でもない。「ただの空いた電車に乗った木曜日の朝」という現実があるだけ。もちろんそこ出会う人々だって同じ事なのだ。偶然に出会った人それだけだ……
歳は、21歳~28歳その間に入る女性、だいたい女性の年齢はまるっきり分らない、28歳と言われれば28歳に思えるし、35歳と紹介されればそのまま信じてしまう。年齢など人生の「おまけ」みたい物にしか思えない。だから女性の年齢については深く考えない事にしている(時々それが原因で失敗する事はありますが、いいじゃないですか)
扉挟んだ向こう側の柱を背に、その女性は経っていた。茶色に染めた髪の毛は耳元から胸の辺りまで細かいウェーブを描いて垂れている。ファッション雑誌のつり広告で笑うモデルのような髪形だ、髪の毛から少しだけ出ている耳には白いイヤフォンが入っていてる。耳たぶに光る小さな紅いピアス。
蒼い厚手の革のバッグを肩から下げ、ジーンズに無地の原色ワンピースを着、上に袖の長いニットのカーディガン羽織っている。その様相はすっかり秋をを思わせる。暑い車内の扉の小さな空間で、額の汗をハンカチで拭う汗かきのサラリーマンを横目に、彼女はクールにリズムを刻んでいた。
周囲を見回すと、女性達はもう秋の服、季節を先取りする女性の意地なのだろうか。気温とは別な季節がここでも進んでいる。満員電車でクールビズでだらしなくワイシャツのボタンを外して汗を拭いているのは、冴えないサラリーマン。服装に無頓着なサラリーマンがとても対照的に映て見える。
そんな風に通勤の中にも小さな季節を感じるが、「そんな事どうでもいいや」と扉のガラス窓から曇り空をの下の息苦しい街並みを眺め自分の「秋」を思った。そんな木曜日の朝、通勤風景
Due to lack of time, this should be revised.