Rice in the jar


とぎ掛けの米を眺めていると、ふと数間前の週末の事を思い出した。早朝、布団から抜けてシャワーを浴びトーストやソーセージを調理してラジオのパーソナリティの面白くないジョークを聞きながら、ダイニング・テーブルで料理を口にする。

部屋にはラジオから音楽が流れて、頭の中では料理を噛む音が響く。朝食が終わるとネットニュースやブログをチェック。それからトレーニングウェアに着替えてiPodを耳に2.5時間のLSD、部屋に戻れば記録をPCへ入力してもう一度シャワーを浴びる。

冷蔵庫の材料でパスタを作って昼食を済まして昼寝した。すっきりした頭になった所で、好きな音楽を聴きながら本を開く。冷房の効いた部屋で、コーヒーを炒れて本を手にしながら喉の奥へ入れる。トイレへ何度か行き用を足して、読み終えた本を閉じた。

日が落ちる頃ブログの下書きを投稿。かわいそうな内臓を慰めるために、夕食の支度を始める。ワイングラスにワインを注ぎ、LPに針を落としてアート・ペッパーのアルト・サックスを聞きながらお櫃から米を釜へ移し、水を入れその中に手を入れた時ふと思いついた。

一切の言葉を発していない……


口が利けなくなっていないか怖くなり、テレビを点けニュース・キャスターの話す言葉をトレーシングペーパーを鉛筆でなぞるように言葉にした。喉の奥から乾いた振動が起こり、キャスターの話をなぞる事は出来た。でもそれはキャスターの言葉であり「自分の言葉」として響いてこない。自分の声なのか自信ももてない。

自分にとって無意味な言葉がそこにあり、本質は存在しない。精神を伴った本質的な言葉は完全に失われている。誰かに何かを話そうとしても、相手の顔も話す内容も浮かばない。……自分へ話しかける……

「だいじょうぶ」
「うん、だいじょうぶ」

虚しい言葉は空中で生まれ、シャボン玉のように消える。

携帯も電話もかからない週末は、言葉を忘れた時を過ごす事になる……買い物へ出て人と会えば話をする機会があるかもしれない。でも、買い物へ出たとしても、そこに精神を伴った言葉が生まれるのか、それも疑問だ。

釜の中の米を見た夜はふと、そんな「孤独を象徴する週末」の事を思い出してしまう。
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