ブログネタ:怖い話、教えて!! 参加中あれから何年位たつのだろう、その年も実家のエアコンが壊れてしまうほどの猛暑だった。祖母が亡くなって丁度一周忌の法事を行うために実家へ帰っていた時の出来事だ。
出来事を語る前に、先ず亡くなった祖母の事を少し説明する必要があるだろう。幼少の頃、色々な所で連れて行ってもらった。今のように地下鉄があるわけでは無いから、市電やバスに乗って公園や商店街へと行った。
何故、祖母と出歩いていたのかと言うと母が自営業を営んでいたために、子守は、祖父と祖母の役目だったからだ。だからお爺ちゃん子、とかお婆ちゃん子と言われてもおかしくない。まだ小さかったのに、今でも当時の事をはっきりと思い出だせる。
今は横浜市内から消えてしまった市電に乗って、根岸の競馬場跡地や山手の丘を散歩した。道中、祖母が決まって話してくれたのが芥川龍之介の蜘蛛の糸だった。
明治生まれの祖母は疎開から引き上げて来ると空襲で焼けてしまった家を再建するために、横浜の繁華街の外れで自営業を営み、祖父と祖母と父の三人で戦後を生きてきた。そして引退後、信仰する宗教に深く傾倒していった。お寺へ通いお経をあげるそんな毎日を過ごしていた。
蜘蛛の糸の話を知ったのは、お寺の住職からの説法からだったようだ。バスや電車の中で小さな冊子を見せて話を聞かせてくれた。本の枝折になっていたのは紫や緑色の和紙でできた蓮の葉っぱだったと記憶している。そんな祖母の頭の歯車が狂い始めたのは、祖父が亡くなって1年経った頃だった。
当時高い建物に住んでおり窓から家具を投げ捨てたり、夜中に何処かへ行ってしまい警察から何度も電話を受け、父や母が引き受けに行ったのを思い出す。一番記憶に残っているのは、トイレに篭城した時だ。当時のトイレは外から開ける術がなかったから、お腹を空かして出てくるまでに相当の時間がかかり、家族総出で見守った。
祖母がトイレからやっと出てきた時に、祖母の手には大きな蜘蛛が握られていたのが目に焼きついてる。どこから肺ってきたのか、大きな蜘蛛がトイレの中にいたのだ。母は気味悪がってその蜘蛛を直ぐに殺してしまったが、祖母はその死を「蜘蛛の糸」の話になぞり酷く悲しんだ。
そして祖母が92歳で無くなるまでの十数年間家族は疲弊していった。だから、92歳の老衰で無くなった時は、言葉には誰も出さなかったが、全員が肩の荷が降りたように開放された気持ちになった。特に祖母を看ていた母の安堵感は大きかったに違いない。
お葬式は自宅の建物で行った。前夜の事、つまりお通夜の夜、大きな蜘蛛が二匹天井を這っていた。横浜の市街地とはいえ近くにまだ山手の丘があり自然は充分にあった。だから蟲は周囲に沢山いたから不思議ではないが、大きな蜘蛛は祖母がトイレに篭城して以来だった……そしてじっとしていても汗が頬を伝うほどの暑い夜だった。
一周忌の法事に参列するために実家へ帰省した時の事、やはり暑く寝苦しい夜だった。扇風機がカタカタと錆びた音をさせながら昔の自分が使っていた部屋で寝ていた。法事の日の明け方近くふと目が覚めた。目を開けると枕元に祖母が座っていた。
一年前に亡くなった筈だと事を忘れて祖母と話をした。小さい頃に公園へ連れていってもらった、まだ壊れる前の優しい祖母だった。どれ位話をしたのだろうか随分長い時間だったような気がする。何のきっかけか判らない、ふと祖母がもう死んでしまった事に気が付いた。
そうなると、祖母の姿が急に怖くなり祖母から離れようとした。するといきなり冷たい何かが手を掴かんだ。起き上がろうにも体が動かない、目には朝の光が窓から差し込む風景と祖母の姿がある。体が動かない、腕を見ると祖母の冷たい手が腕を掴んでいた。
手を振り解き、体を動かそうと懸命にもがいていると、隣の部屋から異状を感じた母が体を揺り起こしてくれた。目を開けて、びっしょりと汗まみれな異状な姿だったという。母を怖がらせたくなかったので説明はしなかった。
暑く寝苦しいかったという事にしたが、母も何かの異状に気が付いていたようだった。そして起き上がって枕元を見ると、二匹の小さな蜘蛛が布団の上に動かず留まっていた。
「朝の蜘蛛は殺さないで」
それが、祖母の口癖だった。