ブログネタ:嫌いな食べ物は? 参加中「これが原因でいつも上手くいかないんだ」原因を100%把握していても改善できないという事はありますか。原因が明確に判明しても改善する気が全く起きないという事が良くある。特に人間関係における改善点の修正はとても難しい。なぜなら、そこには相手との折り合いを見つけるための探り合いがあって、折り合える所での妥協を要求されるから……そして妥協は簡単じゃない。
自由な人生を長く過ごしていると妥協の交点を見つけるのが難しくなるばかり。年月が経過するにつれて線は平行に近づき交わる事が難しくなる、そんな気がする。好みは極めて個人的だ。好みを貫くのも、妥協するのも当人の判断次第。基本的な生活だけ考えればやかく言われる筋合いのものでは無いと考えてしまう。
それが食生活となればなおの事。同居している頃は作ってもらえる食事をしなければいけなかった。自分で食生活を支えられなければ文句を付ける権利は無い。どうしても自分の好みと合わなければ食べないと言う選択肢しか残されていない。「自立できなければ文句を言うな」これは絶対的な条件だ。
ならば自立してしまえば自分の思い通りになるのかと言うとそんな事もない……なかなか簡単にはいかないのだ。社会的な人生を歩んでいれば、自分以外の人と関係しなければいけない。社会生活では一人で生きていく事はできない。増してパートナーが必要ならばなお更の事、そこには絶対的に何かを分かち合う対象が存在している。
食べ物の好みがジャック・ポットが揃うように同じ物なら問題は無いのだが、少しでも回転がずれて出た目が合わないと、獲得できるメダルの数は逆にマイナスになってしまう。そこまで地道に稼いで来たメダルを、そこで一気に使って手持ちを全て放出しまう事になりかねない。
具体的にどんなケースで起るのか。付き合いが浅い頃は、相手の気を引くために、嫌いな物でも文句を言わずに食べる。時間が経つにつれて、相手との距離は縮まり遠慮は次第に薄れていく。そうなると好き嫌いもはっきりと主張できるようになってくる……いい事であり悪い事でもある。
好き嫌いが互いにはっきりすると真っ直ぐな線が引かれる……こちらとそちら側。その先は、個人の性質により違う形に変形する。それまでの経験の多くは、はっきりと着いた線を守ろうとすると、その歪からストレスいなり、溜まっていく。例えば、二人で同じレストランへ行き食事をシェアしたいと考えてもそれが上手く出来ない。
つまりどちらかが、状況を我慢するか、二人では食事へ出かけないかといった状況になる。そんな状況が堆積岩のように積もると、さらに厚いストレスの地層が出来上がる。単なる食べ物の好き嫌いの問題かもしれないが、人間の「食」という欲求から考えてみれば、人生では大きく大切な事だ。生きるには食事をする必要があり、一日に2,3回訪れるその儀式はとても大切なのだ。
どんな状況か思い浮かべてみる。「内臓系食べ物」の嫌いな男が居る、ガールフレンドは、もつ煮込み、もつやき、トリッパが大好き。その好みの問題以外に二人に不一致は無く不満も無い。食事の事を除いて仲たがいを起こすことも無ければ諍いも無い。内臓の問題さえなければ平穏な交際だ。
しかし食事の好みは、二人に大きなストレスになっていく。恋愛の初期段階では、ガールフレンドは相手の嫌いな物を食べに行こうとも誘わなかったし料理も作らなかった。ガールフレンドが意識的にそういう風に振舞っている事を気付かない。年月が経つにつれ、そんな小さなストレスは気付かないうちに雪のボールのよう膨れあがった。
ガールフレンドは気付かれないように、内臓を料理の中へ忍ばせるが、嫌いな物へ敏感なアンテナはそれを絶対に見逃さない。小さなストレスが互いの溝を深め、思いやりを侵食していく。必然と言えば必然だ……食べ物の好みというのはそういう事なのだろう。
パートナーと交際を深める時、好き嫌いを正確な定規を使ってきっちりと測り、確認してから同じ道を歩もう……たかが内臓なんだけど……さて、皆さんは内臓好きですか?
■Run 5Km
■ガイア・ナイト間違えて一瞬PCをつけてしまいました。ごめんなさいませ……