ブログネタ:放課後、何をして遊んでいた? 参加中家の窓から外を観ると、粘土質の茶色の山肌と青い空の境目に円柱形の校舎が見える。毎朝ベッドを抜けてベランダへ出ると小学校の校舎が「今日も元気に登校するんだ」と言うように家を見下ろしていた。
小さな頃から病弱で喘息や肺炎といった病気で入退院を繰り返していたから、学校へ行きたいという気持ちが人一倍強かった。入院の期間が長く友達と会える期間が少なかったから、なるべく学校へ行って友達と遊びたいと願っていた。でも現実は願いとは逆に学校へ行っても、なかなか親しい友達はできなかった。
その頃の小学校には、カード・ゲームやビデオ・ゲームなんて無かったから、男子は体が大きく丈夫で野球やサッカーが上手なスポーツ少年が人気があった。そして彼らには沢山の友達がいた。どの学年でもクラスに何人か、スター的少年がいてクラスの中でも目立ってもてはやされていた。
もちろん彼らはスポーツだけでなく勉強もそこそこできた。年中通して日に焼けた健康な肌色をして野球帽を被ていた。もちろん運動会でも大活躍、クラスだけでなく学年でだって一目置かれる人気者だった。そんな華やかな彼らの姿を斜から観ていつも羨ましく思っていた。
病弱でスポーツ嫌いの男子なんて誰からも相手にされない。放課後と言えば野口英世やガリレオ・ガリレイの伝記、星新一のボッコちゃんのような本を学校の図書館で借りて、表紙が擦り切れるまで読んだ。そんな暗い学童にも一人だけ友達がいた。
あだなで、「たっちゃん」と読んでいた。小学校の1年生から6年生になるまで同じクラスだった。クラス替えがあっても磁石が引き合うように、次の学年の教室で顔が会った。あまりスポーツは得意でなかったのか、体育の実習で残される時には、同じように隣に並んでいるそんな少年だった。
でも、「たっちゃん」はとても健康で小学校の学年を通じ一度も休んだことが無かった。毎朝、呼び鈴が鳴り玄関の扉をあけると、野球帽を深く被った「たっちゃん」がそこに立っていて、病気をして学校へ行けないと聞くと、頷いて一人で学校へ行った。
そんな後ろ姿をカーテンの隙間から覗き見送ったのを今でも覚えている。そして下校時刻になると宿題や教材を持ってきてくれて、玄関の呼び鈴を押し、ランドセルから教材を出して母へ渡してくれた。
「たっちゃん」のお母さんは隣の小学校の先生だった。学校帰り、家へ遊びに行き、誰もいないガランとした部屋で一緒に絵を書いた。「たっちゃん」はとても絵が上手くて小学校のコンクールでも何度か賞を取るほどの腕前だ。だから、時々学校が終わると絵の具を持って山へ写生をしに行こうと誘ってくれた。
他の友達が皆、野球やサッカーをしている時、二人は、小学校の円形の校舎の屋上や、山の周囲に広がる林の中でスケッチ・ブックを広げ何時間も絵を書いた。「たっちゃん」が体の弱い学童の事を気遣って野球やサッカーへ行かず、写生を選んだのかどうか今となってはわからないが、二人はいつも一緒だった。
雨が降っていない日はいつも、二人で丘に登り遠くに見える港の絵を描いた。その頃、まだ海岸線は見える場所にあり、丘の上へ登れば海や港、そしてドックのクレーンが見渡せた。雨が降ればハイドンやドボルザーク、シューベルトのレコードをお父さんのコレクションから取り出してターン・テーブルの上に載せ、音楽を聴きながら、果物や花瓶の絵を描いた。
小学校の卒業式が迫る頃、「たっちゃん」は小さな声で「ひっこすんだよ、中学生になる前に」そう告げた。言葉を聞いてもどういう事なのか直ぐに飲み込めなかった。卒業式が近くなり「たっちゃん」の家の中にダンボールが積みあがるに従って「彼がいなくなる」そう実感し始めた。
黒い点を中心にどす黒い雲が広がるように心の中が雨の六月の空ように変わった。卒業の歌と校歌を歌い終わり卒業証書を受け取り、二つの家族は揃って家に戻った。その翌日の午前中、一緒に山へ行き桜の写生をして戻ると、家の前には黒い大きなトラックが停まっていた。
「たっちゃん」はお母さんに手を引かれ、そのままトラックの後ろに停まっていた乗用車に乗った。ガラスの向こうに野球帽を深く被った頭が見えたと思った後、トラックに続き乗用車が走り出した。「さようなら」の一言の言葉もでないままその車を見送った。
そして、家に帰りベッドの中へ潜って顔を枕に押しつけた。
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