ブログネタ:脱、メタボ宣言! 参加中丸々と太った自分がレースに出場している夢を見る事がある。脂肪で膨れたお腹、消えたウエスト、ドラム缶のような胴回り、顎にもたっぷりと脂肪が付き顔の輪郭も無い。
スタートのピストルが鳴り響く。真っ赤になった顔は、直ぐに苦しい表情に変わり、額から大粒の汗が滴り落ちる。脂肪で膨れボンレスハムのようになった膝や足首は、重たい体重を支え一歩毎に悲痛な叫びをあげる。脚全体に鋭い痛みがはしり顔がゆがむ。
15分経過した頃にはTシャツは汗でバケツの水を被った様だ。肺は大きく膨らむが、それ以上の酸素を取込めず乾いた呼吸がゼイゼイと続く。どんなに呼吸を早めても、1mgも新鮮な空気は血管へは送られない。
肺は破裂寸前の鈍い音を発している。ランナー達は背後から近づきそして視界の向こうへ消えていく。髪の毛からにじみ出る汗が頬を伝って顎へ流れ、足元へ落ち熱っせられたアスファルトに落ちると、蒸気となって消える。
一歩足を出すたびに全身の脂肪は大きく波打つ。酸素を失った筋肉に乳酸が溜まり手足がの自由が利かない。いつしか人の姿は消え、コース上のスタッフも姿を消している。それでも猶、全身の脂肪を震わしながらゴールを目指して前進する。余りにも悲痛で無意味な走りだ。何のための走りなんだ。
夢はいつもゴールの直前で終わる。心臓は爆発しそうな程、早く大きく弾み、血糖値が下がり視界を殆ど失い、無く目に映る景色は融けたゴムのように混じり合う。ゴールは目の前にあるのに、重い体は一歩たりとも前に進めない。
夢が何を訴えたいのか何を語りたいのかわからない。夢のゴールはいったい何処にあるのだろうか。太った自分がマラソン・レースに出場する事が何を象徴するのだろう。太った自分がゴールを悲痛な叫びを上げながらゴールを目指す事が何を象徴するというのか。
年齢を重ねると新陳代謝が悪くなる。弱ってくる細胞を守るために自分を省エネにしようとする働きは、自然の事だ。食べる量が少なくても生き残るように自然の調整が働く。今は石器時代ではない。現在の日本には沢山の食料がありそれを当たり前のように食べ続けている。飽食といっても間違いではない。
人々は食べ確実に肉の厚みを増している。街には贅沢なレストランが溢れ、必要以上の食べ物を口にする。メタボリックだと嘆き、解消のために努力する。沢山のエネルギーを使いジムへ通い。トレッドミルの上で鼠の運動のように走り回る。
考えてみればおかしな話だ。それなら食べないで、もう少し質素で少量の食事をすればメタボリックは解消されるかもしれない。お弁当の中身、お弁当の量、年齢にあったお弁当もメニューも存在しない。年齢が違えば、摂取する食品の熱量も違う。本当にメタボを解消したいのならば、自分の代謝にあったお弁当やメニューがあるべきなのかもしれない。
メニューに書いてある画一的なカロリー表示だけではきっとだめなのだろう。自分の代謝量にあった、摂取量を調整できるようにパーソナライズできるようなメニューが出来ない限り、総合的なメタボの解消にはならないのかもしれない。……どんな食事をしてどれ位の分量を食べればいいのだろうか。
■今日は普通のブルーマンデーです。