ブログネタ:主人公になれるとしたらどの物語? 参加中主人公「グレーゴル・ザムザ」が甲虫に変身しその寂しい死により、崩壊しかけていた家族が結束し自立する、そんな大いなる不条理の文学の主人公が自分には合っているのかもしれない。
物語は家族を支えていた主人公の変身をきっかけに、崩壊していくと思われた家族が逆に結束し、甲虫に変化した主人公の死により、甲虫の世話という苦労から開放され晴々とした気持ちになるというものだ。甲虫に変身した主人公だけが全ての不幸を背負って死んでいくそんなパラドキシカルな解釈ができるストーリーだ。。
主人公は家族を支えるために一生懸命に働いて、理由も無く甲虫に変身して不自由な生活を送る。変身したとたん家族から冷たく扱われ、誰にも見取られず寂しく死んでいく。この物語を読んだ読者が最初に感じるの事は、主人公のあまりに不幸な最後の悲哀だ。
そして次に感じるのは、主人公が死んだ後の家族の冷たさかもしれない。厄介者から開放された事を喜んで生々とする事が読み取れる。生きているより死んだ方が、家族が幸せになるという皮肉と生きて存在する意味が読者に問いかける。
この話は、何故主人公が甲虫になってしまったのかという理由が説明されていない。変わってしまった理由なんかどうでもいい。「そんなの関係ねぇ」と言わんばかりに、変身してからの境遇と周囲の環境にフォーカスされている。とても変わった物語だと思う。
普通の人が読めば、こんな主人公になんか絶対になりたくないと思うだろう。こんな寂しく不条理に満ちた人生なんか絶対に送りたくない。……誰だってそう思う。自分が死ねば家族が幸せになるなんて、存在自体を否定されているような気がする。きっとそんな解釈があたりまえだ。
では、この物語の主人公に何故なりたいと思ったのか。生活する環境が違えば、物語の解釈も少しずつ変わってくる。甲虫になった主人公は確かに邪魔者であり厄介者であったかもしれない。死により家族が幸せになるような否定された存在だったかもしれない。
でも、少なくとも家族という入れ物があって、その中に存在した。彼の生も死も意味が無いかと言えば全くそんな事はない。人間の時は家族の中心としての意味があり、甲虫になってからは家族を結束し結びつける意味を持っていた。さらに死んで家族を幸せにすると言う風に死(si)にさえ意味があるではないか。
彼の存在も非存在も大きな意味がある。自分へ照らし合わせて考えてみても存在が他の人々に意味があると全く思えない。存在も非存在も誰へも影響を及ぼさない人生だ。この物語の中で主人公は確実に生(sei)と死(si)という事に対し確実に意味を持っている。
そう考えれば、生も死も誰かにとって意味のある物として存在できた事はとても素晴らしいし、羨ましく思う。自分以外の誰かにとって意味のある人生ってどうすればいいのだろう。
■かといってこんな不幸な人生を描いた小説を選ばなくてもいいようなものですが。ただ単にそれが実存主義って事なだけです。……さて何て言う物語だったんだろう。
■完全休養日 Run 0Km Swim 0Km Bike 0Km 牛角400g 焼きそば2皿ってどんだけ!?
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