ブログネタ:老後に住むならどこがいい? 参加中歳を重ねると考え方も様々に変化する。人生を歩んでいるうちに社会経験を重ね知識が増え社会的な基盤や資産が増える事によるいう良い面と、歳が経つ事により嫌でも肉体的老化と年齢的な人生の位置づけが進む事を意識するという悪い面だ。この二つの異なるベクトルを加え合わせられて生まれるのが、現在の年齢での思いなのだと思う。
「社会経験を重ね知識が増え社会的な基盤や資産が増える事」とは人生を送る事によって得られる諸々の事だ。それが経験学習したり勉強により知識を増やし蓄積する事なのは容易に理解できると思う。経験学習は状況判断に利用でき、積み上げた知識により理解力が増しより正しい判断を色々な局面で使える。
経験が行動の判断基準となり、リスク・テイクする微妙な判断ができるようになる。価値とリスクを照らし合わせてどう行動するべきなのか自分で判断できるようになり、経験則に基づいた判断基準として知識の中へ宿ってその人の物となる。前半部分はそんな意味だ。
後半部分は、社会生活を営むと人脈が出来て社会基盤が出来上がる。普通に働いていれば資産が形成される。そんな二つの社会基盤と資産の上に乗かって見た人生観だ。若い頃は、将来の方向しか見えない。真っ直ぐに先しか見ていない(若い間はそれでいいのだと思う、それの方が面白い)
しかし、ある程度歳を重ねれば、過去を振り返って将来を見る事もできるようになる。少し高い場所から余裕を持って物事を見れるようになるという事と、金銭的な自由により発想に少しは余裕が生まれるという事だ。
多くの20代は生活する事に追われて30代で少しは余裕が生まれるという事だ。社会基盤の確立と自分自身の成長を追いかけるために生活する。それが現実に近づく30代や40代では、少し余裕を持った発想ができるようになるのだと思う。後半部分の解釈はこんな風だ。
では、「歳が経つ事により嫌でも肉体的老化と年齢的な人生の位置づけが進む事を意識する」とはどういう事だろう。動物でも人間でも歳をとれば自然に老いる。それを感じ意識するという事を言い換えただけだ。10代、20代はエネルギーに満ち、自分が老いる事など想像もできないだろう。人間は動物である以上必ず老いる。そんな老いを意識し、認識するようになると、また人生の考え方に変化が生じる。
例えば、プロ野球が代表するようなプロ・スポーツの世界に生きる人は、そんな老いを真っ先に感じ、真っ先に生き方の変更を強いられる。多くは30代前半から始まり40代の半ばで、この半強制的な人生のシフトを完了しなければいけない。プロ・スポーツの世界はこれがドラスティックに行われる。自分のポジションを後から来た若いエネルギッシュな選手に譲り渡し、自分は一線から退く。多くのプロスポーツ選手は、早い時期に人生を一度見直さなければいけない。
それと比較するとサラリーマンは、スポーツ選手より少し遅い。頭脳的な活動は肉体の衰えよりは少し遅く現れる。加えて、蓄積された経験や知識が衰えを補ってくれるからだ。実際にスポーツ選手と同じように肉体は衰えているのだが要求されるパフォーマンス・レベルと質の違いがあるため、肉体の衰えが社会生活を決める程前面に出る事は無い。
ゆえに肉体の衰えによる人生観の変化は、スポーツ選手と比べるとずっと遅くにやってくる。でも、それは遅いというだけでやって来ないという訳ではない。20代の青年と同じようには活動できない。肉体労働であるならば同じ分量をこなすのは困難なのだ。
もう一つ加齢による変化は、歳がさらに進んだ時の事がイメージできるようになことかも知れない。自分の体力の落ち方が逆放物線を描いているという事を認識できるようになり、認識による新しい考え方が生まれる。
では、「年齢的な人生の位置づけ」とはどういう事なのだろう。つまり両親の加齢と自分の加齢の兼ね合いによる物への考え方だ。年老いていく両親を見て自分の将来がどうなるか、ある意味両親を物差しに自分の人生を測るようになるという事だ。
高齢や病気のために自由が利かなくなっていく身近な人を見て、自分の将来を思い、シミュレーションをして結果から自分の人生を想定する。両親もまだ若かった20代の頃には、元気な両親の姿しか観ていないから、その先がどうなるのか想像もできなかったが、歳を重ね両親との論理的な年齢差が詰まると、現実を自分の事として考えられるようになる。
それらの思いから住む場所の変化について考えてみると、年齢による特性がよく現れてくる。若くエネルギッシュな20代では、何もいらないから死ぬまで世界中を放浪していたいと考えていた。しかし30代になると、どこでもいいから自分の場所が欲しいと思った。仕事があったから、第一に職場への通勤に便利な都心部に住みたいと思った。
でも30代も進むと次第に仕事や都会の生活に疲れ、田舎に住みたいと思うようになった。でも、都会を捨て田舎に移住した両親の不自由な生活を見ていると、田舎の生活は難しいと思い始めた。体の自由が利かなくなってからの田舎暮らしは本当に不自由なのだ。都会の利便性が無いという事は承知の上でも、様々な事で困難が伴う。
特に、別の場所から移り住む移住者は、近所に知り合いも居ない中で生活しなければいけない。困難な事に総食いしても誰も助けてはくれない。唯一の家族は、田舎から遠い都会に住んでいる。目の病で車を運転できない状態なら食料を毎日買出しに出る事もできない。
確かに自然の中は、心も肉体の健康にも良い、でも一体どうやって生きていけば良いのか想像ができない。ならば、便利な都会に住む方が良いのだろうか……田舎に住み「野山のを歩きながら鳥の鳴き声を聞く」事への憧れは捨てていない。何処へ済むべきなのか現在思案中だ。
■Swim 1.5Km
■そう言えば、昨日の有森裕子さんを抜きましたね。有森さんはハンディのある方の伴走をしていました。絶え間なく声をかけられていましたが、気さくに全ての声へ返事をしていました。プロって凄い。それと開会式の時に有森さんの言っていた言葉「自然に勝てる人は絶対にいません」という言葉が印象的でした。
■Wineを2本調達、自分へのご褒美です。Bordeaux Haut-Medoc AOCのブルジョワ級です。まずくてもBordeaux旨くてもBordeaux。