ブログネタ:音楽はCDを買う?ネットでDL? 参加中

会社帰りにあいつの店へ立ち寄った。都内にある小さな翻訳会社からテクニカル・ライティングの仕事を請負い、ほそぼそと生計を立てていた頃の話だ。横浜の中華街からそう遠くない丘の中腹に小さなアパートを借りていた。

国産のPCにジャストシステムが開発したワープロソフトをインストールして悪戦苦闘しながらマニュアルを書き上げるのだ。デスクトップ・パブリッシングなんて言葉が生まれる少し前の話だ。ビルとスティーブは相変わらず舌戦を繰り返していたが、IBMを見方にしたビルに歩がありそうだと言うのが風評だった。

メーカーから発売前のバグだらけの製品を預かり、エンジニアの書いた意味不明な外部仕様書を頼りにオペレーションをして。エンド・ユーザが読んで製品を使えるようなマニュアルを書くのが主な仕事だった。新製品は機密性が高かったので外部から入室が制限された部屋に置かれていた。

部屋に入りその中で、外部仕様書を読みながら製品を利用し、PCで下書きしフロッピーへ落として家に持ち帰り家のPCで推敲を重ねながらリファインし、数日後部屋に入りマニュアル通りに製品が動くのかチェックして挿絵をイラストレーターと打ち合わせする。

機能の細部に及ぶ時はエンジニアの説明を聞きに府中まで出向いていったが、多くは満員電車を使ったアパートとオフィスの単調な往復だった。そんな単調なルーティンを繰り返して一冊のマニュアルを書き上げるのだ。新しい技術の壁はなかなか厚く、キャッチアップは難しかったが、マニュアルが出来上がり添付された製品が店頭に並んだ時あ自分の本が出版された時のように嬉しかった。

普通のサラリーマンとは少し違っていたが、とても一般的で凡庸な日々を過が過ぎていった。オフィスでの仕事が終わると普通のサラリーマンがするように、石川町駅の近くにある友人が経営するバーに立ち寄りビールを一杯だけ飲んでアパートへ続く坂道を登り家を帰るという生活パターンが続いた。

本格的な夏が訪れる雨降りの日が晴れを追い越そうとしていている時期の事だ。いつもの店へ寄ると友人は早い時間だというのに、カウンターの中を早々に引き上げ、スツールに腰掛けてケンタッキー・ウィスキーをショットグラスへ入れて空けていた。もう相当な量を飲んだ様で、店に入った時には、活舌が悪かった。

その様子は何かがあったのを明白に表している。彼の横に座り同じショット・グラスをバーテンダーに注文し、置いてあったボトルの中身を注いだ。かれは一連の事をぼんやりと眺めていた。グラスを彼の前に差し出すと、持っていたグラスを併せた。カチンというガラスの高い音が店の中に響く。

いつもは彼の好きなジャズが流れているのに、その日に限って店内はとても静かだった。グラスを併せると彼はカウンター・テーブルの木目を指でなぞり、グラスの中の液体を見ながら、目をこちらに向ける事もなく言った。

「アートが死んだ」

最初は誰の事なのか分からなかったが、次第に飲み込めるようになった。アート・ペッパーは、ベニー・カーター楽団の中から活動を始めたJAZZミュージシャンだ。その音楽的なセンスは当時のJAZZミュージシャンの中でも群を抜いていた。日本公演を期に熱狂的なファンが増えその話は自叙伝の中でも語られている。

麻薬中毒で、生涯を通じてリハビリテーション施設への出入りを繰り返し、その度に音楽活動が中断されていると言った具合だった。彼の奏でるアルト・サックスはクールで切れていた。そして、友人もまたその切れてクールな音楽に魅了されていた一人だった。この店の音楽の定番はアート・ペッパーだったし、何かある度にレコードに針を下ろした。

その6月17日の夜は葬式と称して朝まで飲み明かした。ウィークディの夜だったし締め切りの近い仕事も無かった。持っていたワインを彼に渡し、とっくに朝日の昇って明るくなった通りへ出た。その友達が、彼のマンションで発見されたのはそれから一週間後だった。

- 続く -

■Swim 1.5Km です。
■午後は東京ドームで野球観戦でした。オープン戦なのになんであんなに人が入っているのだろう?
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