ブログネタ:ショートケーキの苺、ラーメンのチャーシュー、最初に食べる?最後に食べる? 参加中大家族という競争環境の中では自分の割り当てをっきちんと守りきり、獲得するのは大変な苦労がある。逆に兄弟が一人や二人、歳の離れた兄や姉ならば手放しで自分の割り当てをきっちりキープしておく事ができる。
大家族の場合家族の中での位置付けにも因るが、力関係で弱い方に居るのであれば、食べ物の一番の「華」となる部分を最後まで残して置く事程無謀な事はない。理由は述べるまでもないだろう。力の強い者が、力の弱い者の割り当てを当然の様に奪ってしまうからだ。
これは、一般に弱肉強食とも言うし食物連鎖とも言われる事もある。無造作に最後まで残しておけば、嫌いなのだろうと勝手な解釈の上で、もったいないという「正当化」された最もらしい理由を付けられ、あっと言う間に消えてしまう。
そんな悲劇を回避するためには、大好きな物は早いうちに胃の中へ収めて形を失くしてしまうのが一番良い。ショートケーキの苺、ラーメンのチャーシュー、食べ物の中でキラリと光る一番の「華」は何かにつれ狙われ、ターゲットになる存在なのだ。
小さい頃、横浜崎陽軒のシュウマイ弁当は大好きなお弁当だった。時々買ってきてくれるシュウマイ弁当をそれは楽しみにしていた。勿論、今でも一番好きな駅弁の一つであるが、当時はそんなに頻繁に食べられる程裕福ではなかった。だから時々口にするシュウマイ弁当はそれはそれは楽しみだった。
中でも横一列に並ぶ5個のシュウマイの味は横浜崎陽軒の誇る日本でも美味しいシュウマイの一つなのだ。小粒ながら帆立の味が凝縮されたシュウマイは、一度食べたら止まらない。そんなに美味しいシュウマイだ、家族は当然、自分の割り当てが終わってしまうと他人の物を狙う行動に出る。途中で席を離れようものならピラニアの住むアマゾン川の中へ落とされた子兎の様に跡形もなく消える。
さらに、シュウマイ弁当の中にはナマリの照り焼き、そして極めつけが乾し杏がデザートとして一つ宝物のように薄い木で出来た弁当箱の端に大切に収まっている。これらの詰められた美味しいオカズを死守する事は本当に大変な仕事であり戦場であり食事だった。
将に食事の時間は、生きるための戦場と化し、食べ物を死守するために壮絶なバトルが繰り広げられる。それは一日限りで終わる物ではなく、毎日、毎日、数年に渡り繰り広げられる壮大な歴史的なスペクタクル・ドラマに匹敵するといっても過言ではかった。「最後に笑うもの」それはいち早く自分の割り当てを食べきり、そして人の手中にある「華」を手に入れるものなのだ。
モンブランの栗もその一つ、そういう意味ではアップル・パイとか、ベリーのタルトなんかの方がきっちりと味わえ、焦らないでじっくりと「華」の部分を味わえるので好きかもしれない。一般的にはどうなんだろうか?中華焼きそばや、中華丼に載っている鶉の卵や海老もその一つだ。
「死守」思い浮かぶ一番適当な言葉だ。今や少子化でこんな奪い合いが無いのだろう。そんな環境をある意味、羨ましいと思う。食事をゆっくりと食べられ、リラックスできる。スローフードなんて言葉が生まれても何の不思議も無い。
こういった「華」を最後まで残して置く人は他人に取られる心配をしない、少子化時代に育った人なのかもしれない。スポイルされた子供には逆に余計に割り当てをもらったりしていたのだろう。スポイルド・チルドレン、食が少なくなったらちゃんと競争に勝って生きていけるのか?
■部屋に入ると鰯のポンプがガラガラと大きな音、良く見ると水が殆ど無い。そうなんだ今日は、電気工事のため二時間の停電。電子レンジの時計も湯沸かし器の時計も点滅していました。
冷蔵庫の中身は平気だったみたい。アイスクリームも無事。他にダメージを受けた物は無いようです。我が家は結構停電に強いのだなぁ~と、感心したりしてます。てか、コンピュータこれだけあるくせに平気なのがおかしいのかも。
■重たいです。Run 3Kmしか走れなかった。脂肪分12%, Swim 1Km泳げない。地球の重力増したかな?