ブログネタ:何歳からおばさん? 参加中おじさん、おばさんの基準ってなんだろう。絶対的な基準って物があるのか考えてみよう。17歳の少女にとってみれば、19歳の成人に満たない人も年上だし20歳の成人も40歳も全て年上だ。30歳の女性はどうだろう、17歳18歳のティーンエイジャーは小娘に見えてしまうだろう。
それだけ長く生きているのだから当たり前だ。では、30歳から見た40歳はおばさんなのだろうか。自分より長く歳を重ねているだけで「おばさん」と言い切ってしまう事ができるのか。18、19歳の少女が40歳を見ておばさんと言えても、30歳の女性は40歳に向かって率直に「おばさん」とは言えないと思う。
17歳にとって30歳や40歳は想像も及ばない年齢だけれど、30歳にとって40歳は想像のスコープ内にある年齢だからだ。自分がその年齢になってしまうには、それ程遠く無い現実としてそこにあるからだ。そんな風に考えれば、「おばさん」には決して絶対的な基準は無いと思う。
「おじさん」から見た「おばさん」だって同じ事かもしれない。年齢という絶対的な尺度からでは無く、もっと別の生き方や生活習慣と言った客観性に基づく尺度により「おばさん」度となるように思う。もちろんそれを男性に照らし合わせれば同じように「おじさん」度が算出できる。
例えば、30歳位の人でも既に「おばさん」チックな人もいれば、40歳になっても生き方をしかかり確立し若々しい生き方をしていれば「おばさん」という代名詞ではなく、一人の固有名詞を持つ事ができるのだ。「おばさん」が悪いと言っているのでは無い。
人によってはそんな風にエンタイトルされるのに抵抗感がある人もいる。そうった人がエンタイトルを避けるためにはどうすれば良いのかという事を考えているだけだ。無論。こんな事を書くと多くの女性から反発を買うのは分かってる(すみません)。
女性や男性の魅力は、「おばさん」、「おじさん」度とは無関係だ。生き方として、その人を取り囲む環境が整ってさえ居れば実際は魅力的なのだと思う。良く、子供が出来ると「おばさん」になると言われるが、これも違う。確かに子供の友達からみれば「おばさん」かもしれない。
でもそれは子供の年齢という相対的な距離の話だけで事実と関係無い。事実、子供がいてもきっちりと一人の女性として魅力ある生活を送っている人も間違いなく存在する。ただそういったメリハリというのは相当な努力の上に成り立っている事は間違いない。
一概に「おばさん」の良し悪しを述べているのではない。それはその人の生き方の問題であり、それを受け止める人の解釈だ。女として生きるのか、母として生きるのか、妻として生きるのか、「おばさん」として生きるのか、それは本人とそれを囲むステークホルダー内で納得するれば誰かが意義を唱える問題ではないと思う。
一人の人間としてどんな形態の人生を歩むのかは、個人が決めれば言い事なのだ。話を戻そう、「おばさん」という尺度に絶対的な基準が無い事はわかった。「おばさん」というエンタイトルメントは、それを感じる人の相対的な尺度で決まるという事もこれまでの解釈の中で説明できた。
では相対的な尺度と言うのはどういう物なのだろう。この部分を定義付けるのは難しい。大学の卒論にでもなりそうな題目だ。先程は「想像可能な範囲か否か」と述べて見たが他にはないか。一般的な尺度について少し想像力を働かせてみると。
若い女の子の相対的な年齢の距離を考えてみると、どれだけお母さんに近いかという事なのかもしれない。でも、この距離に関する仮説を定量的に証明する術が見つからない。では、少し年齢が進んだらどうだろうか、ファッションかもしれないしメークかもしれない。肌の潤いかも知れないし、髪の毛の艶かもしれない。外面的な事ばかりなのか、という問題だってある。
考え方が若いとか、やっている事が若いとかだって当然あるのだ。そう言う意味では360度のおばさん分析をしてみれば正しい「おばさん度」を割り出せるのかもしれない。そんな論文に価値があるのか、無いのか分からないが、もしちゃんと発表されたなら暫くは女性雑誌のコラムを賑わす事は間違いない。
そういう意味では「脱おばさん」的な考え方は女性の方が積極的だし、意識的だと思う。諦めと無力感の漂うおじさん達だって、もう少しおばさん達のパワーを見習って「脱おじさん」的努力をして欲しいものだ。
■女性諸氏どう思いますか?周囲には「おばさん」より「おじさん」の方が増えたような気がします。
■記事とは別に、前に出る事を諦めると「おじさん」、「おばさん」と呼ばれるような気もします。
■Run 休み、ガウンを羽織ってブランデーを飲む、「おじさん」してました。ピース!