ブログネタ:旅行で行ってみたい場所 参加中見渡す限りの砂の山、見渡す限りのジャングル、朽ち果てた遺跡、そんな場所に一度でも身を置いてみると次に自分が何処へ辿り着くのか見えなくなってくる。巨大な都市の中を歩き回ってみても、広大なジャングルを走り回ってみても、最後は自分自身の存在と向き合う事になる。
先日、語学の堪能な同僚と話しをした。社内では時々英語の会議があるのだけれど(日本人だけではない)、その同僚はは会議のイニチアチブをきちんと握って会議を引っ張っていける程力がある。その彼と旅行について話してみた。彼は海外(英語圏)に住んでいた事もある。つまり、英語は日本語と同じ程度に話せる。
もう少し彼のバックグラウンドを話しておくと、世界中を旅している。英語がきちんと話せ、少し旅慣れれば何処へでも行ける。そんな背景を持つ彼に何処へ行きたいのか、興味本位で聞いてみた。何処へも行かなくて良いと言った。……実は自分もそう思っていた。良く話を聞いてみると考えている事はほとんど同じだったし、共感する所が多かった。
外国で暮らした事も、彼程語学が堪能でもないけど、旅を続けていくうちにたどり着く所は同じ場所になるようなきがする。もちろん冒険みたいな体験はいくらでもしてみたい。でもそれは日常の経験ではない。かなり特殊な体験と言える。普通の人が、普通の環境で体験する事のできる旅について考えれば、我々はもう何処にも行く必要が無いと思えたのだ。
二人の共通する事は、結局物理的にどんな場所に居ようが考えるや実現したい内容は同じで、求めるものも余り変わらないという事だ。確かにその場所でしか得られない感動や情景はあるかもしれない。でもそういった無二の情景や感動という物は、貴方のすぐ隣にも座っていると思う。それは単に気づかないだけだ。
つまり、物理的にどんな所にいるというのではなくて、精神的にそういった事を見つけそして感じる事が、我々二人の統一した旅と言う概念になるのかもしれない。彼も色々な場所へ行って色々な経験を積んだ。仕事にしても、我々の仕事は場所や時間に依存しない。
そういう意味で地理的な背景で物を考えるより、精神的または心理的または、論理的な仕事や旅を(たぶん)求めているのだと思う。だから本当に充実した仕事や旅は「何処」と言うよりは「何をしたのか」、「何が出来たのか」という事が重要なのだ。
さて別の友達は、社会人になってからホームスティや留学をしている。多分彼も同じ考えなのだと思う。何処へ行ったのかという議論よりも何を得たのか、何をしたのかという事なのだ。観光よりも実質的な事を選ぶという事であり、その気持ちもなんとなくわかる。
実際、本当に今何処に行きたいのかと尋ねられると、やはり上手く応えられない。いったい何処へ行けば良いのだろう……きっと、何処へも行きたく無いのかもしれないな。近所のスパなんて良いかもしれないです。ディズニーリゾートのホテルに泊まって湯巡り万華郷へ行く。なんてお手軽なんだ。
■今日は完全休養日ですね。明日は泳ぎますよ。
■バレンタインデーかぁ……あ~ぁ