「きっかけは何ですか?……好きだから」
今回も応募ネタです。題材があると良いですね。題材で結構悩んだりするから、題材があったりするとありがたい。でも問題は自分が本当にそう思うかって事ですが、結論が題材を投げかけてくれた人の求めている事とぜんぜん違ってもかんべんして欲しい。今度はブログネタでも挑戦しようか。
きた「お題」が抽象的だったので、推測して例を作ってみよう。いただいた題材は、「後からもっとっもらしい理由をつけたがる傾向がありますがそれって何なんでしょう」という問いかけだったと思う。誰が、何をという主語や目的語が欠けていた。自分なりに考えてみる。仮に、「走り始めたきっかけ」を説明する事を考えてみよう。
テレビを観ていて走ってみようと思った。十分な理由づけになっているか、たぶんそれだけの理由で、他人を納得させられない。では、メタボ対策のダイエットこれではどうか、多分、これなら十分な理由になる。つまり理由を述べて十分に納得させられる背景を持っているかどうか、これが一つの要素となる。
ではガールフレンドを好きになった理由、これは先日の「何処を見るか」の記事の中でも触れたが、好きになった理由が曖昧だと、ガールフレンドに尋ねられた時に答えるのに困る。「好きになる」のに理由は必ずしも必要でない。でもガールフレンドはその理由を知りたがる。
その理由を明確に答えられない場合、待ち受けている状況のために、もっともらしい回答を準備しておかなければいけない。「回答の準備」これも一つの理由かもしれない。他人を納得させるという意味では前者と同じなのだが、目的も方法も少し違う。
前者は論理的であればいいのだが、後者は論理的である必要は全くない。論理的であるとかえって混乱を招く。論理に一貫性を持たせられるとは限らない。リスクを避けるためには、ある程度曖昧さを残しておいた方が良いケースも沢山ある。後々困る事になるかもしれない。
では嫌いな理由はどうなのか、嫌いになる時もやはり理由無く嫌いになる事が多い。心の中で嫌いだと思ったときが嫌いになる事だ。明確な理由など無い場合が多い。仮に理由があっても口に出
来ない場合がある。
あの人は虫が好かないとか、空気が合わないとか、肌が合わないなど抽象的な理由の場合だ。そのような状況の時には公明な理由が欲しくなる。後付でもいい、人に尋ねられた時にはなんらかの理由を述べておきたいのだ。こんな時は、後になって理由が欲しくなる状況ではないか。
最近こんな事があった。友達に飲み会に誘われた。メンバーいい仲間だ、その日に何か予定が入っているわけでも無い。一度は出席をオーケィした。後々考えると、明確な理由はなかったが、どうしても気が乗らない。
ただ、行きたくなかった。だれでも気分がどうしても乗らない時ってあるかもしれない。そんな時に都合のいい理由って何だろう。考えてみたが思いつかない。その時は仕方が無く出席した。断るのに丁度いい理由がなかったからだ。
こんな思考の上に立ってみると、断るには確固たる理由が必要なんだなと思ってしまう。つまり、好きであれ、嫌いであれ、理由を付けるのは、自分の心と他人を納得させるための明示的な手段なのだと思う。果たしてこれで答えになっているのだろうか……
■走りました。9Kmです。泳ぎました1.5Kmです。疲れました。泥のようです。
■株価が下がった752円もう一度株ネタが必要かな?
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きた「お題」が抽象的だったので、推測して例を作ってみよう。いただいた題材は、「後からもっとっもらしい理由をつけたがる傾向がありますがそれって何なんでしょう」という問いかけだったと思う。誰が、何をという主語や目的語が欠けていた。自分なりに考えてみる。仮に、「走り始めたきっかけ」を説明する事を考えてみよう。
テレビを観ていて走ってみようと思った。十分な理由づけになっているか、たぶんそれだけの理由で、他人を納得させられない。では、メタボ対策のダイエットこれではどうか、多分、これなら十分な理由になる。つまり理由を述べて十分に納得させられる背景を持っているかどうか、これが一つの要素となる。
ではガールフレンドを好きになった理由、これは先日の「何処を見るか」の記事の中でも触れたが、好きになった理由が曖昧だと、ガールフレンドに尋ねられた時に答えるのに困る。「好きになる」のに理由は必ずしも必要でない。でもガールフレンドはその理由を知りたがる。
その理由を明確に答えられない場合、待ち受けている状況のために、もっともらしい回答を準備しておかなければいけない。「回答の準備」これも一つの理由かもしれない。他人を納得させるという意味では前者と同じなのだが、目的も方法も少し違う。
前者は論理的であればいいのだが、後者は論理的である必要は全くない。論理的であるとかえって混乱を招く。論理に一貫性を持たせられるとは限らない。リスクを避けるためには、ある程度曖昧さを残しておいた方が良いケースも沢山ある。後々困る事になるかもしれない。
では嫌いな理由はどうなのか、嫌いになる時もやはり理由無く嫌いになる事が多い。心の中で嫌いだと思ったときが嫌いになる事だ。明確な理由など無い場合が多い。仮に理由があっても口に出
来ない場合がある。
あの人は虫が好かないとか、空気が合わないとか、肌が合わないなど抽象的な理由の場合だ。そのような状況の時には公明な理由が欲しくなる。後付でもいい、人に尋ねられた時にはなんらかの理由を述べておきたいのだ。こんな時は、後になって理由が欲しくなる状況ではないか。
最近こんな事があった。友達に飲み会に誘われた。メンバーいい仲間だ、その日に何か予定が入っているわけでも無い。一度は出席をオーケィした。後々考えると、明確な理由はなかったが、どうしても気が乗らない。
ただ、行きたくなかった。だれでも気分がどうしても乗らない時ってあるかもしれない。そんな時に都合のいい理由って何だろう。考えてみたが思いつかない。その時は仕方が無く出席した。断るのに丁度いい理由がなかったからだ。
こんな思考の上に立ってみると、断るには確固たる理由が必要なんだなと思ってしまう。つまり、好きであれ、嫌いであれ、理由を付けるのは、自分の心と他人を納得させるための明示的な手段なのだと思う。果たしてこれで答えになっているのだろうか……
■走りました。9Kmです。泳ぎました1.5Kmです。疲れました。泥のようです。
■株価が下がった752円もう一度株ネタが必要かな?