「共同出版、自費出版」

小説やエッセイを書いた事のある人なら一度は自分の本を出版してみたいと考えるだろう。そんな人が思い悩み、そして出会うのが「新風舎」の中吊り広告だ。コピーを読むと素晴らしい。

自分も本を出版できるのではないかと思ってしまう。数年前やはりそんな夢を思い描いて新風舎の扉を開いた事もある。今思い起こせば懐かしい。夏がが終わろうとしていた頃、原稿を抱え出版セミナーへ行き出版の仕方について学んだ。

しかし、書いていた小説には色々な問題があって、結局最後の行に筆うぃ入れ無いまま原稿用紙を片付ける事になった。今考えれば幸運な事だったのだろう。何かが働いて、最後行を完成させなかったのかもしれない。そんな風にも思える。

今朝、インターネットのニュース・ページで新風舎ニュースの記事を読んだ時は本当に驚いた。最初にヘッドラインを読んだ時はあの新風舎だとは思いも及ばなかった。でもリンクを開いて良く読んでみるとやっぱりあの新風舎だった。

初めて新風舎を知ったのは、冒頭に書いた通り電車の中刷り広告。その頃ちょっとした理由があって旅に関するルポを書いていた。今の文章にもよりもっともっと稚拙な文章だったが、それでも書く事に自己満足し、出来上がった文章にも自己満足していた。

そんな時、あの中刷り広告に出会った。「出版」という言葉に憧れている人にとって、あのコピーはとても魅力的だった。セミナーは土曜日、日曜日に開催されていた。「週末なら会社を休む必要も無い、誰にも迷惑をかけずに出席できる」

そう考え、休みの朝、銀座線へ乗り継ぎ外苑前へ出かけて行った。セミナー自体は、丁寧で親切な内容だった。特に不審な点は何もない。マルチ商法のような押し付けもしつこさもなかった。セミナーではどうすれば良い本が書けるのかとか、出版のコツや方法と言った事を丁寧に説明してくれた。

今考えても、新聞や諸説で書かれているようないわゆる押し売りのような悪質な商法ではなかった。昨年から問題になっている「偽造問題や年金問題」に比べれば、普通の商法だ。メディアからこれだけ叩かれている事が不思議でしょうがない。現実的に出版を思いとどまった理由は、

①完成できなかった。
②読み直して、とても出版に絶えられる文章ではなかった。
③お金が無かった。

これらが踏みとどまった理由だった。セミナーで説明がされた「出版費用」自体がとても高かったというのも根底にある。彼らは隠し立てもせず費用は明言していた。共同出版と謳いながらほとんど自費出版と変わらない値段だった。

自分の文章にそれだけ投資対効果があるのかと自問すれば答えは明白だった。答えは「No Go」だ
さらにもうひとつ、新風舎は独自のルート・トゥ・マーケットを持っていると自負していた。しかし、街を歩いて、本屋を覗いてももそのルートを見つけ出す事はできなかった。

当然の事だろう、素人の書いた無名の本を一般の書店が簡単に扱ってくれる理由が無い。出版され書店に詰まれる本は、知名度があるか、十分にマーケティングされているのだ。幾つかの理由が重なり、出版は諦めた。事実は自分の能力が及ばず出版に至らなかったといのが正しい。

新風舎の事に戻ろう。新風舎は、「文芸社」や同じように倒産した「碧天舎」と自費出版や共同出版というビジネス・モデル(あえてビジネス・モデルと呼ぶ)を作ってきた。これは決して間違いではない。ただ、彼らのビジネス・ケースが成立しなかったのと、そのビジネス・ケースを承認する経営モデルが間違っていたのだと思う。

彼らは出版を志す一般の人に道を開いた。その事実は意義のある事だ。応募した人達の中には希望を抱き、そして自分の本を出版した人もいただろう。また全く売れなかった人もいただろう。でも彼らは間違いなく本を出版し、何かを残したのだ。

「新風舎」は少しだけ、経営とビジネスを理解できていなかっただけの事なのだ。数十万人の生徒を残したまま倒産したNOVAのケース同じだと思う。サービス的な商品は、そのサービスを受け続けて初め支払った料金の対価が出てくるのであるから、継続不可になり対価が無くなるというリスクが付きまとう。

そういうサービスを買うと言う事は株式を買うようにリスクが伴う事を理解しなければいけない。経営者もそういったお客様を大勢抱えるのだから、しっかりとした責任をもってサービスを提供して欲しいと思う。ビジネスが継続できるかどうかは経営者の責任と言っても間違えではない。

最後に、NOVAや新風舎の件で被害に遭われた方の心痛をお察しいたします。そして少しでも良い状況になるようお祈りいたします。
■5Kmだけ走りました。
■ランナーの方イエローチップ使ってますか?ゴールの写真も撮ってくれるしいいですよね~。どーも電子物に意志弱しです。